【知道中国 2650回】                      二四・二・念八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習316)

『中国歴史年表』は約60万年前の原始社会にはじまり、奴隷社会、夏、商と続いた後、「紀年が比較的正確な西周共和元年(前841年)以後」を経て1911年の辛亥革命まで1年ごとに区切り、興亡激しい大小王朝の姿を皇帝や王の即位と退位の“事実”だけを、イデオロギーのモノサシを完全に切り離して坦々と事細かに記している。

批林批孔運動からは到底導き出せそうにないこの年表を手にした時、若者はなにを感じただろうか。中国は中国として一貫した歴史を歩んできた偉大な国家、偉大な中華民族と思ったのではなかろうか。たとえそれが壮大な蜃気楼であろうとも、である。

『中国古代的発明創造』は指南針、製紙、印刷術、火薬、農業技術、焼き物、自然科学(天文、暦法、気象観測、宇宙構造)、数学、養蚕(絹)、医薬、冶金・鋳造、燃料、土木工事、造船、航海術を取り上げ、「これらの創造発明の全てが、我が国古代労働人民の実践を基盤とした無数の人民の才知と切り離すことはできない。多くの発明家、科学者であっても本来は、それぞれの時代の社会の最底辺に属する労働人民だ」と、熱っぽく語る。

もっとも、「儒家の反動路線と唯心論的天命論が労働人民の溢れ出る才知を押し止め縛り付け、我が国の科学技術の発展を阻害した」などの“常套句”を目にすると苦笑せざるをえないが、『中国古代的発明創造』の行間から迸るのもまた、偉大な中国、偉大な中華民族への憧憬であり熱情であったようにも感じられる。

1976年2月に入ると、四人組による鄧小平追い落とし工作が激化する。逐一挙げたらキリがないので、この時点で四人組とその仲間が鄧小平をどう呼んでいたのか。代表例をいくつか挙げるに止めておくだけで充分だろう。

「鄧小平は嘘つき会社の社長だ」(江青)、「中国で修正主義をやらかそうとしているのは鄧小平だけではない」(張春橋)、「今に至っても悔い改めない走資派とは鄧小平の代名詞だ」「ヤツらの唱える現代化はウソであり、真の狙いは資本主義の復辟だ」(『人民日報』)、「鄧小平は外国崇拝が激しく、主権を売り渡す。この流れを完全に引き戻さないと、国家は変質してしまう」(毛遠新)などなど。

また毛沢東の指名を受け中共中央が国務院総理代理(首相代理)に認めた華国鋒公安部長に対しては、「投降派であり、宋江だ」(張春橋)。「孔子ヤローは56歳で司寇から代理宰相を務めた」(北京大学・清華大学大批判組)と。「司寇」とは孔子在世時の魯の国の公安担当最高ポストであるから、「孔子ヤロー」は公安部長から55歳で首相代理となった華国鋒を指すことになる。これを「借古諷今(古を借りて、今をアテコスル)」という。

このような四人組の攻勢に鄧小平が表立って対抗措置を講じたフシは見当たらないが、さすがに“無告の民”が動き出す。もっとも、その背後に鄧小平の影がチラつくのだが。

 たとえば黒龍江省軽工業進出口総公司所属の運転手は、「北京大学・清華大学大批判組に対する公開書簡」を街中のビルの壁に貼り出した。曰く「建前上は大弁論を展開しているが、実質的には大鎮圧だ。少しでも異なった意見を主張しようものなら、たちどころに反革命として打ちのめされてしまうではないか」

 中旬には北京で中央広播事業局の1人の幹部が、天安門周辺の数ヶ所に小字報(ビラ)を貼った。曰く「全国人民よ、直ちに決起せよ。実際の行動で叛徒・野心家・陰謀家の張春橋、江青、姚文元の一派に断固たる決意を以て戦いを挑もう」

下旬、重慶で鋼鉄公司の技術者が繁華街に聳えるビルの壁に「我愛我的祖国」と題する大字報を貼り出し、「最終的に誰が祖国の富強、民族の隆盛、人民の幸福を葬り去ろうとしているか。国家と民族の生存を支える経済基盤に関心を寄せないなど、断固として許されるものではない」と、四人組による毛沢東思想原理主義にノーを突きつけた。《QED》