【知道中国 2645回】                      二四・二・仲七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習311)

毛沢東の人生も余すところあと半年ほど。文革にも四人組の政治的横車にも大多数の国民が飽き飽きしていた頃だと想像するが、『群衆文芸節目選』に収められた作品の数々は、おしなべて悲惨なまでに勇猛邁進ぶりを訴える。まさか真顔で作品作りに励んだ結果だとも思えない。だとするなら、やけのヤンパチだったということも充分に考えられる。先ずは典型的な作品を以下に拾っておいた。

巻頭に置かれた「共産党の恩情は窮まりなし」は、

「山に樹はなく荒山に、川は干上がり砂地となった。共産党がなかったら、我らは生まれ変われなかった。共産党が救ってくれて、千年奴隷はお日様拝み、苦難の根っこを引っこ抜き、幸せの花、野に満ちる。工農聨合、力は強く、難攻不落の政権は、永久(とわ)に朽ちることもなし。山の松の根繋がって、各民族の心は1つ。固く結んで革命すれば、激しい風雨も恐くはないぞ。毛主席の導く革命ならば、前途はいよいよ明るさを増す。

共産党の恩情は、珠江にも似て限りなし。滾々として流れは尽きず、党の恩情永遠だ。河川(みず)の流れは大海に、万朶の花びら太陽(ひ)に向かう。我らの真紅の心は1つになって毛主席に正対します。紅い心は主席を仰ぎ、永遠(とわ)に党に従うぞ」

続いて「偉大なる祖国は陽光に満ちる」である。

 「我らが社会主義の祖国は、燦燦と耀く陽光に満ち溢れる。団結の歌声こだまして、勝利の紅旗は翻る。祖国の大地を流れる水は轟音を響かせ革命の奔流に流れ込み、江南北塞(そこくのはて)まで巨浪は逆巻く。

我らが社会主義の祖国は、燦燦と耀く陽光に満ち充ちる。見渡す限りに怒りの花が咲き、豊かな穀倉は限りなし。誰もが兵士となって鋼鉄の長城築きあげ、世界に向かって友誼の橋を架けるのだ。偉大な党は朝の精気に溢れ、偉大なる人民は奮闘して富強を目指す。

偉大なる軍隊は常に備えを怠らず、偉大なる祖国は日々に向上する。偉大なる領袖毛主席は、われらの前進を導き賜う。力強い歩みは社会主義の大道を闊歩する」

 精いっぱい日本語に置き換えよう頭を捻るのだが、どうにもシックリした日本語が見つかりそうにない。加えて訳すに従って気恥ずかしさが募ってくるから不思議だ。誠に失礼だがバカバカしく、こみ上げてくるのは苦々し笑いのみ。

過剰なまでに勇ましく大仰な毛沢東讃仰歌、中国共産党賛歌、あるいは労農兵応援歌に綴られる中国語のニュアンスを日本語に置き換えることは、やはり至難である。ここら辺りに中国語と日本語の、一歩踏み込んで考えるなら、中国人と日本人の政治に対する思考・感情の違いが潜んでいるようにも思えるのだが。

それにしても当時、毛沢東に心酔し、『毛主席語録』の一節を書いた板を首から提げて歩いていた日本人がいたわけだから、正気の沙汰とは到底思えない。

行きがけの駄賃というわけでもないが、もう1つ。「民兵は兵練に勤しむ」を。

 「紅い太陽、東の空に、民兵、練武に忙しい。紅旗が先頭、歌声高く。1人1人が戦士となって、戦争準備の兵練だ。右手(めて)に鋤持ち、左手(ゆんで)に槍(テッポウ)。紅い太陽、東の空に、民兵、練武に忙しい。

兵士の『殺せ』の掛け声響き、刺刀(じゅうけん)荒波切り進む。革命目指し練武を重ね、時々刻々と戦場に赴く準備は怠らず。紅い太陽、東の空に、民兵、練武に時忘れ。毛主席に命を捧げ、体を張って党中央を。敵の侵略なんのその、断固殲滅してやるぞ!」

テッポウから生まれた政権はテッポウに縋り、やがてはテッポウに食い散らされてしまうようにも思える。ところで習近平指導部内で「敵の侵略なんのその、断固殲滅してやるぞ!」と、半世紀昔の戦闘歌が声高らかに唱われていない・・・と信じたいのだが。《QED》