【知道中国 2644回】 二四・二・仲五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習310)
ここらで膨らんだ妄想を打ち消して本来の議論に引き返し、奇想天外な議論に溢れる『太平天国金田起義』(《太平天国金田起義》三結合編者組 人民出版社)に移りたい。
共産党の歴史認識に従うなら「一八五一年一月十一日、広西桂平県金田村で我が国歴史上最大規模の農民蜂起――世界を震撼させた太平天国革命――が爆発した」となる。
農地を求める貧困農民、職を失った運送や港湾荷役の人足、ゴロツキやら一攫千金の夢を追う不平不満分子を集め、軍隊としての陣容を整えながら進んだ太平天国の内情については拙稿2633回(二四・一・念四)を参照願うとして、『太平天国金田起義』の主張の要点を以下に纏めてみた。
先ず太平天国の歴史的な意義として、①多様な背景を持つ人々を団結させ革命の隊伍を整えた。②多くの少数民族を糾合した。③民間に広く根を張っている天地会などの会党(秘密結社)の構成員を取り込んだ。④革命における女性の働きを重視した――を挙げる。
次に太平天国失敗の原因だが、ここでも孔孟の道が批判の矢面に立たされてしまう。
「金田起義は孔孟の道に革命的な打撃を加え、広範な群衆を反封建の隊列に動員したものの、封建思想に打ち勝つだけの根本的な思想的武器が足りず、洪秀全ら幹部の孔孟儒学に対する批判は不徹底」。だが太平天国崩壊後も中国人民は「不撓不屈の英雄的な戦いを止めることなく、遂に中国共産党と毛主席の英明なる指導の下で“最古の帝国”を埋葬し、工農兵大衆を主人公とする新中国を打ち立て、アジアの新世紀の曙を迎えたのである」
『太平天国金田起義』に拠れば、「壮麗なる共産主義の事業は、農民階級が太平天国による金田起義の際に掲げた戦闘綱領の及ぶところではない」。だから「この壮大な目標を実現するために、我々は上部構造における革命を堅持し、修正主義批判をより深め、ブルジョワ階級を批判し、プロレタリア階級のブルジョワ階級に対する全面的独裁を実現し、マルクス主義を堅持し、我らが国家は毛主席の指導する方向と道筋に沿って永遠に勝利の前進を遂げなければならない!」となる・・・わけだ。
それにしても「上部構造における革命」「修正主義批判」「ブルジョワ階級に対する全面的独裁」「マルクス主義」「毛主席の指導する方向と道筋」などと連続的に呼び掛けられれば、たしかに「共産主義の事業」が「壮麗」で「壮大」であろう程度は朧気ながら分かるものの、それでは具体的になにを、どうすればいいのか。皆目見当がつかない。
おそらく当時も、ましや現在ならさらにそうだろうが、いったい中国国民のうちのどれほどが「毛主席の指導する方向と道筋に沿って永遠に勝利の前進を遂げなければならない!」などと心から信じ込んでいただろうか。
こう考えてみると、やはり腑に落ちない点が多すぎるし、極論するなら「壮麗なる共産主義の事業」とは見果てぬ夢であり永遠の蜃気楼だろう、と素朴に疑問を持ってしまう。にもかかわらず、なぜ、「毛主席の指導する方向と道筋に沿って永遠に勝利の前進を遂げなければならない!」のか。
この疑問は簡単には解けそうにないことは十二分に分かっているつもりだが、敢えて想像を逞しくするなら、それは独裁政党としての共産党権力を守るため。それというのも共産党独裁体制が既得権力の独占を保証するから。ならば共産主義ではなく共産党主義であり、彼らの信奉するイデオロギーは共産主義ではなく共産党主義であるべきだ。
ここで本筋に戻すと、どうやら共産党にとっての修羅場が近づいてきたような・・・。
『群衆文芸節目選』(人民音楽出版社 1975年)には毛沢東への無条件の讃仰、共産党に対する絶対的信頼、朝鮮族の女性兵士が兵舎の空き地で野菜を栽培する日々や人民公社の女性民兵の夜間軍事訓練をテーマにした舞踏劇の台本などが収められている。《QED》