【知道中国 2643回】 二四・二・仲三
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習309)
それにしても死んだ林彪に向かってヘリクツの限りを投げつけ、あらんかぎりの悪口雑言を浴びせていた四人組とその配下集団も、1年後には同じように罵詈雑言を浴びせ掛けられることになろうとは、お釈迦サマでも、いや「偉大的領袖毛主席」であったにしても気がつかなかっただろうに。一寸先は真っ暗闇の権力闘争の悲喜劇といったところか。
『衛青霍去病』(《衛青霍去病》編者組 上海人民出版社)は前漢の景帝、武帝の「まさに新興地主階級と広範な労働人民、対するに匈奴の奴隷所有貴族との間の矛盾が日に日に激化していた時代」に、「漢王朝のために匈奴の侵略者を退け、辺境の憂いを取り除く赫々たる戦功を挙げた衛青と霍去病」の両将軍の評伝である。
剽悍な匈奴の軍勢は北方から漢朝の版図を侵略し、「漢の労働人民」に甚大な被害を与える。このような現実を前に漢朝では「主戦論」と「和親論」の路線対立が起こるが、法家思想に拠って政柄を執る武帝は、決然として討伐の大軍を対匈奴の戦線に出陣させる。その先頭に立って大軍を率いたのが「卓越した法家軍事家」の衛青と霍去病であり、両将軍は多大の犠牲をも乗り越え、ついに匈奴を打ち破る。
かくて『衛青霍去病』の最後の数行を音読してみれば、漢族ならずとも自ずと感涙に咽び、胸は張り裂けんばかりに。そこで原文の雰囲気を生かして訳してみた。
「霍去病に率いられた漢家三十万の兵士は、まるで神懸かった天兵のように奮戦した。青年将軍霍去病は鋭い剣を腰に、矢籠を背に、雪原を埋め尽くす匈奴の兵の真っ只中へと突き進み、愛馬を自在に操りながら矢を弓につがえ、次々と胡兵を射殺す。その凜々しく猛々しく、神々しいまでの勇姿は匈奴の鉄騎兵を圧倒するのであった。見よ、この英雄の気概を!」
――もうここまでくると、法家がどうの、林彪がどうの、孔子のバカたれがどうのなんぞはどうでもいい。狂おしいばかりの民族主義としか思えない。批林批孔運動の行き着いた先で異民族撃破の狂信的民族ロマン主義にお目に掛かろうとは。
なんだかキツネに鼻先をつままれたような奇妙な気もしないでもないが、こうなると社会主義も共産主義も、プロレタリア独裁もすっ飛んでしまうだろうに。聞こえてくるのは民族主義の旗を高く激しく打ち振る胸の高鳴り。そんな気がしてくるから摩訶不思議だ。
そこで、誤解を恐れずにチョッと飛躍して表現してみるのだが、文革とは形を変えた中華民族主義明徴・国威発揚運動だったようにも思えてくる。これを現在のアメリカを揺るがす政治スローガンMAGA(Make America Great Again)に倣うなら、さしずめMCGA(Make China Great Again)だろう。つまり20世紀初頭に崩壊した中華帝国の形を変えた“失地回復運動”となる。ならばプーチンのロシアもMR(GAに突き進む。
かく考えるなら習近平を頭にした「毛沢東のよい子」によって構成されている現在の習近平政権(3期目)の内外に対する一連の居丈高で理不尽な振る舞い、高圧的な作風の向こう側に、なにやらMCGAの4文字が大きく浮かび上がってくるようにも思える。
ここで妄想を逞しくして、これからの日本の立ち位置を考えてみると、世界は地球規模でのMAGAとMCGAとMRGAの角逐の場となり、「日米同盟」のみの片翼飛行に固執する限り、日本はワシントンと北京とモスクワが発する超強力で理不尽で変則的な政治的磁場の中間に立たされ翻弄される可能性は大、つまりは茨の道である。
だが、だからといってMNGA( Make Nippon Great Again)を持ち出しても、費用対効果の面から決して得策とはいえそうにない。ならば石橋湛山が説いた「小日本主義」に倣ってMNSA (Make Nippon Small Again)を思いついてみたが、「小」であっても強靱な日本をどのように形作るべきなのか。この上ない大難題が浮上してくる。《QED》