【知道中国 2637回】 二四・二・初一
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習303)
学問に殉じたのは馮友蘭か、それとも陳寅恪か。どちらにせよ激越な人生であったわけだが、それも政治と学問が分かち難く結びつく政治文化の伝統ゆえの必然的帰結だろう。そこで筆者が半世紀ほど昔の香港留学時に新亜研究所で謦咳に接した唐君毅、牟宗三、徐復観、全漢昇、王徳昭、厳耕望などの先生方も同じ学問系譜を歩んだようにも思えてくる。
閑話休題。
『《商君書》《荀子》《韓非子》選注』(北京大学中文系古典文献専業七二級工農兵学員 中華書局)だが、巻頭の「説明」に「儒法闘争と階級闘争の全過程における歴史経験を総括し、マルクス主義を用いて上部構造の全領域を押え、プロレタリア独裁を強固にする」ために編んだ、と記す。とはいえ、すでに出版された関連書と比較して特に目新しい見解が認められるわけではない。率直に言って“惰性”の産物といったところだ。
『原始人怎様戦天闘地』(《原始人怎様戦天闘地》編者組 上海人民出版社)は、「革命事業の次代の担い手ある少年」は革命の紅旗を引き継ぎ、「党と毛主席が導くプロレタリ階級の革命路線に沿ってプロレタリア独裁を強固にし、共産主義の偉大な理想を実現するため『好好学習 天天向上』に努めよ!」と出版の狙いを記す。
少年向けに階級社会の姿を分かり易く解説し、「階級などというものは、本来はなかったのである。人類社会は200万年以上もの階級なき社会を経た後に階級対立社会へと突き進んだ。原始社会にあって階級なんぞは存在しなかった」ことを、「革命事業の次代の担い手である少年」に教え込もうとしたのである。
『大慶紅花遍地開 “工業学大慶”曲芸専輯』(人民文学出版社)、『小戯創作選』(人民文学出版社編輯部編 人民文学出版社)の2冊は共に毛沢東思想を謳い上げる演芸の台本集。バカバカしいほどにキマジメで、気恥ずかしいまでの毛沢東賛歌が続く。たとえば、
「・・・我らは歴史の創造者、毛主席の教えを心に記す。中国は人類のために大きな貢献を為すべきで、五洲(せかい)の風雲は我らが心で激しく高まる。我らは戦いの佇まい、躍進する広い歩幅を以て、さらなる勝利を勝ち取るために大いに歩みを進めるぞ。必ずや今世紀のうちに、我が国を社会主義現代化強国に建設してみせるぞ。毛主席が拓かれた革命の筋道を、前進、前進、勝ち進め! 社会主義の光り輝く大道を前進するぞ」
こんなクソ面白くもない演芸が巻頭から巻末まで途切れることなく、畳み掛けるように続くわけだから、否が応でも毛沢東式思考回路に馴染んで(いや毒されて)しまうはずだ。
ここに示された「今世紀」は20世紀を指すが、さて中国は20世紀のうちに「社会主義現代化強国」になったというのか。あるいは現在の習近平指導部は「毛主席が拓かれた革命の筋道を、前進、前進、勝ち進め!」と一斉に声を張り上げながら、理想の「社会主義現代化強国」を目指し「毛主席が拓かれた革命の筋道」を邁進しているのだろうか。
ところで「社会主義現代化強国」とは、いったい、どんな形姿をしているのか。どうもよく分からないが、外国にとってはサゾやゴ迷惑であること程度は、よ~くワカリマスが。
『語文教学譜新章 ――賛工農兵講師――』(上海人民出版社)は、「学校はプロレタリア独裁の道具となるべき」であり、「学校で行われる一切は学生の思想を変転させるために進められるべき」との毛沢東の教えに従って教壇に立った30人の労働者・農民・兵士の体験談を収める。
たとえば中学校の教壇に立ち戦史を担当した解放軍兵士が「孔子の説く“仁”は人殺しを唆し、人を喰らう哲学である」と説くや、生徒は「自らの体験から発せられる工農兵講師の授業は深く心に染みる」と反応したと、文革式教育の優れた効果を誇示する。
想像するに、習近平指導部は毛沢東式学校教育の“超優等生”だったような。《QED》