【知道中国 2632回】 二四・一・念二
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習298)
始皇帝は5回に及ぶ全国巡幸を行い、秦山、之罘、之罘東観、会稽などの地に自らの業績を未来永劫に記すべく石碑を建てた。だが、それが「(始皇帝が)法家路線を徹底して遂行した歴史的証拠と記念碑」と見なせるのか。大いに疑問だ。
むしろ始皇帝が「天」に近い神聖な地とされる場所を選び石碑を建立した目的は、自らの業績を「天」に告げ、秦の天下が尽きることなく、未来永劫に繁栄を続けることを願ったから。こう考えるなら、碑文を全面的に「法家路線」の“鉄の証拠”とするにはムリがある。
次の『李贄文選読』(北京市第一機床廠工人理論組・北京大学中文系文学専業七二級工農兵学員選注 人民文学出版社)も同じだが、どうやら反儒家・尊法家路線の手詰まり感は否めない。
日本では吉田松陰が大きな影響を受けたとされる李贄(1527~1602年。号は卓吾)の人生を、『李贄文選読』は次のように形容している。
「明代後期の著名な尊法反儒の進歩的思想家」で、「明代反動統治階級が掲げる官製の“正統思想”である孔孟の道と儒家思想に“堂々の陣、正義の旗”を掲げて猛烈なる戦いを挑んだ」
「孔丘は“万世師表”や“至聖先師”なんぞであろうはずもなく、底なしの酒飲みである点を除けば、あとは一般大衆となんら変りはない、と彼は指摘する」
「彼は、『六経』『論語』『孟子』なんぞは思想のゴミに過ぎない、と主張する」
「彼は、聖人と凡人とは平等であり、〔中略〕一般民衆も男女平等であると主張し、男尊女卑に反対し、女子の“見識”は必ずしも男子に劣るわけではなく、“見識”の高下を男女の違いに求めることはできない、と説く」
『李贄文選読』は詳しい脚注を付した「賛劉諧」「題孔子像于芝仏院」「戦国論」「答耿中丞」など李贄の代表作を収めたうえで、李贄の著作を読む意義を次のように説いた。
- 階級闘争の歴史は一切の反動派はすべて尊儒反法であることを教えてくれる。
- 林彪は売国奴であり、悔い改めない極めて頑固な尊儒反法である。
3)李贄が残した尊法反儒の著作を読むことで、儒法闘争と全階級闘争に関する歴史的経験を真剣に総括する。
4)修正主義批判、孔孟の道批判を通じてプロレタリア独裁を強固にする。
――このような主張が現在の中国で通じるのかどうかは不明だが、かりに李贄が文革時に蘇ったとして、まさか「毛沢東は“偉大なる領袖”であるわけがなく、彼を形容する“百戦百勝”なんぞはマヤカシだ。そんなことがあってたまるか」「『毛主席語録』『毛沢東選集』は思想のゴミに過ぎない」「共産党の幹部も一般国民も平等だ。彼らに特権が許されるわけがない」などと主張したなら、はたして共産党はどのように対応するだろう。文革当時なら問答無用で即刻極刑だろうが、習近平政権3期目の現在なら・・・やはり同じような処分になってしまう・・・のだろうか。
『金田起義』(広西師範大学歴史系《金田起義》編写組 広西人民出版社)は、19世紀半ばの清朝支配体制を震撼させた義和団の動きを物語風に綴っている。
科挙試験に挑戦しては失敗ばかり。不遇を託っていた洪秀全(1814年生まれ)は、ある夜の夢に導かれるようにキリスト教に帰依。キリスト教の教義と中国古典の考えを結びつけ、地上に万民平等の王国建設を思い立ち、先ず拝上帝会を組織し仲間を広げてゆく。
「天朝田畝傍制」と名づけた土地制度を布き地主から農地を取り上げ、貧しい農民に分配する。毛沢東が農民の支持を取り付けたとされる「土地改革」の原型だろう。《QED》