【知道中国 2631回】 二四・一・廿
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習297)
鄧小平の動きに危機感を持ったからに違いない。四人組は毛沢東が口にした水滸伝批判に即応し、「キモは晁蓋(梁山泊の2代目頭領)を祭り上げた点にある。いま党内には毛主席を飾り物にしようとする人物がいる」と声をあげた。四人組は(ありは毛沢東も?)、復権後に力を付け独自路線を踏み出す鄧小平に“危険なニオイ”を感じたのだろう。
26日には毛沢東の許に、「彼らは『呂后に手を貸して天下を握ろうとしている』」と四人組告発の手紙が山東省の中学教師から届く。漢朝を打ち立てた劉邦の妻で、中国史上三大悪女の1人である呂后が江青を指していることは敢えて言うまでもないことだ。
31日、『人民日報』が理論誌『紅旗』(第九期)掲載の水滸伝批判論評(「重視『水滸』的評論」)を転載している。同日、病床の周恩来は護衛に向かって「文革はオレをホトホト疲れさせてくれた」と嘆いたとか。毛沢東の執事役だった自らの人生への悲哀が滲む。
鄧小平の本格始動によって四人組が浮き足立つ。かくて鄧小平VS四人組(+毛沢東)の確執が表面化し、権力闘争の火蓋が斬って落とされようとしていた。
それにしても中国における政敵批判は手が込んでいる。『宋史(呂誨伝)』が使われたり、呂后が登場したり、梁山泊の晁蓋が飛び出すかと思えば、「積もり重なった過ち」とくるわけだから、誰がナニを批判し、誰の追い落としを狙っているのか。次にどのような政治状況が出現するのか。共産党最上層でなにが起きているのか。皆目見当がつきそうにない。
「借古諷今(故事来歴を使って婉曲に批判・糾弾)」の度合いがキツイわけだから、それだけ多くの故事を知り、成語を習得し、修辞の術を自家薬籠中のものとしておかなければならないのだろう。中国における権力闘争は隠微に陰険に執念深く繰り返されるわけだから、政治という因果なショーバイに携わる必須条件は超高度な老獪さに違いない。
党最上層では水滸伝批判が始まったが、出版の基調は相変わらず批林批孔、法家礼賛であった。
先ず取り上げる『批判壊戯文章選輯』(人民文学出版社編輯部編 人民文学出版社)は、2ヶ月前の6月に同じ人民文学出版社から出版さればかりの『批判壊戯文輯』(2624、2625回を参照)の焼き直しに過ぎず、新しい視点が提示されているわけではない。それにしても、『批判壊戯文章選輯』の冒頭論文の論題(「尊儒反法の壊戯を批判し、孔孟の道の害毒をキレイさっぱりと洗い流せ」)が勇ましいが、反面でモノ哀しさを覚える。
『荀况』(孔繁 人民出版社)は、戦国末期の趙の人で政治にも携わった荀子の評伝であり、「唯物主義自然観と無神論」「唯物主義認識論」を基礎にして「性悪説」を唱え、孟子による「性善説」に反対したと強調し、次のように結論づける。
「荀况は秦に先立つ時期における唯物主義の集大成者であり、法家の重要な代表である。彼は新興地主階級の立場に立ち、当時活動した諸子百家と呼ばれる各派の政治、哲学、学術思想の全てに対し批判と総括を行った。彼の思想は我が国におけるその後の儒法闘争、唯物主義思想の発展に極めて重要な影響を与えた」
現在の中国における荀子に対する評価については不明だが、いくら批林批孔の当時とはいえ、「法家の重要な代表」と見なすには些かムリがあるのではないか。だが、そのムリを承知で荀子を儒法闘争の“兵器”として持ち出さねばならないところに批林批孔闘争の黄昏――言い換えるなら学術上の限界――が見え始めたように思える。
『秦始皇金石刻辞注』(《秦始皇金石刻辞注》注釈組 上海人民出版社)は「戦国末期の新興地主階級の傑出した政治家」で、「史上初の統一した中央集権制封建国家」を打ち立てた始皇帝が「法家路線を断固として推し進め」る過程で全国を歩き、各地に打ち立てた碑文を「法家路線の歴史的証拠」と見なし、微に入り細を穿って解説を加える。《QED》