【知道中国 2630回】                      二四・一・仲八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習296)

ここで些かチャチを入れて、「加油!法家。法家、加油!」と応援したいところだが、批林批孔闘争における“公認歴史認識”に照らしてみるなら、古代から現代まで、どう足掻いても法家は分が悪い。だから、数多く試みられてきた政治改革の悉くは最終的には儒家によって潰され、あるいは闇から闇に葬られてしまったに違いない。

やがて共産党を率いた毛沢東が登場し、「人民の人民による人民のための中国」をカンバンに掲げた「人民共和国」を築きあげたのだが、儒家は空恐ろしいばかりに不死身だった。歴史から退場することなどあり得ない。林彪に典型的に見られるように儒家の残党が毛沢東の身辺にすら潜み、中国史の歯車を逆回転させようと秘かに画策していたわけだ。

「偉大なる領袖」にとって唯一無二と形容されるほどに信頼していたはずの「親密なる戦友で後継者」が不倶戴天の敵だったから驚きだ。「百戦百勝」と讃えられる毛沢東思想にも意外にも“死角”があった。いや毛沢東も存外にお人好しで無警戒。林彪を甘く見すぎた。見誤った。いや、あるいは林彪が身につけていた政治的擬態法があまりにも巧妙だったと考えられるのかもしれない。やはり『宋史(呂誨伝)』が伝える「大姦は忠に似たり」は間違ってはいなかった。最も忠義面したヤツが、いちばん危険なのである。

とどのつまり儒家は中華民族にとっては疫病神であり、ゾンビだった。ゾンビであればこそ、孔子学院やらノーベル平和賞の向こうを張った孔子平和賞の美名を装って息を吹き返した。いや、キッとそうだ。そうであったに違いない。だが数年来、孔子平和賞関連ニュースは聞かれないから、はたして雲散霧消してしまったのか。

法家の考えに立つなら、やはり“儒家の親玉”である孔子と世界平和は結びつくわけがないはずだ。一方の孔子学院だが、一時は世界各地に続々と展開されたものの、最近になって欧米諸国では批判が高まり店仕舞が散見される。穿った見方だが、はたして西側諸国の為政者に法家思想が浸透したことから、儒家の影響力の排除に乗りだしたのだろうか。

ならば歴史の最終勝者は法家のはず。だが儒家はゾンビで、「大姦は忠に似たり」は権力闘争における万古不易の法則。習近平長期政権下で、いつ儒家の末裔――さて誰だろう――が蠢き出すのか。やはり「好戯還在後台(おもしろい芝居は楽屋で)」となるわけだ。

ここら辺りで1975年8月に転じることにするが、どうやら四人組も形勢不利を感じ始めたようであり、江青は自派の武装化に動き出す。張春橋は民兵改造を画策し、「目下提出されている民兵整備の条件が整わなければ、厄介なことが多く出来するだろう。労働者の武装組織を立ち上げるに越したことはない。小規模から大規模へ、素手から武装へ。造反派を基盤にした人民武装部隊を組織すべきだ」と語ったとか。この建言を受け、7日になって、姚文元は彼らの権力基盤である上海に向けて「10万人の武装民兵を擁する民兵指揮部を立ち上げよ」と指示を出す。

13日、毛沢東は「この本のカギは(梁山泊勢力の王朝への)投降にある。人民が投降派を知るための反面教材とせよ」と、突如として「水滸伝批判」を口にする。これを知った姚文元は14日には賛意を記した書簡を送る一方、水滸批判の論文を『人民日報』『紅旗』『解放軍報』に掲載することを提案する。これに毛沢東が同意する旨を伝えた。

鄧小平の動きを拾ってみると、国防工業重点企業会議代表と接見した際に「知識分子を重視せよ」(3日)と語り、工業発展問題に関する講話では「積もり重なった過ちは改め難い。正そうとすれば必ずや度を越す。だが度を越さなければ正せない」(18日)と檄を飛ばす。一連の言動からも相当な危機感が感じられる。文革、いや毛沢東による「積もり重なった過ち」を正すには「度を越」す必要がある。この時すでに四人組排除(=文革路線否定)から脱毛路線(=対外開放)への意思を固めていたようにも想定できる。《QED》