【知道中国 2624回】 二四・一・初六
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習290)
二:台湾海峡(300km×150km)を挟むことから戦線が延びきり、兵力が分散してしまう。最前線と殿の部隊との間の広大な海域で空白地帯が生じ、膨大な兵力を誇るも実際に前線の戦闘に投入できる兵力は極めて限られてしまうことにはならないか。
三:自己犠牲を厭う忠誠心なき弱将の重用はないだろうか。
四:台湾軍の作戦能力を軽視し、部隊の後退を軽率に命令し戦線から離脱させ、作戦の主導権を台湾軍に与え、自らを受身の立場に置いてしまうことは考えられないか。
毛沢東思想の拳々服膺・活学活用を目指しているはずの習近平であるからには、よもや『論淝水之戦』が説く戦訓に違えることはあるまいし、費用対効果を考えるなら、やはり軽挙妄動は慎むはず。加えて自己犠牲を厭う忠誠心なき弱将を周囲に配しておくなどの手抜かりは考えられない。だが、「習家班」とも呼ばれる習近平政権の中核メンバーが、同じ時代を同じ政治的環境で過ごしてきたことが、それにしても、やはり気になる。
たとえば最高権力組織である7人で構成された政治局常務委員をみると、最高齢が習近平の69歳で、最も若い筆頭副首相の丁薛祥が60歳。この7人の幼少期から青少年期までは文革期にピッタリと重なる。そこで考えられるのは集団思考に陥る危険性である。
古今東西の歴史に登場した多くの独裁国家の解体過程で露呈しているように、国の運営に変調を来し頓挫や危険が生じると政権中枢に疑心暗鬼が生まれ、それらが肥大化し、時々刻々と浮かんでは消える感情に振り回され、軌道修正を試みることなく、頑なに正しことを進めていると信じる。あるいは信じたかったことに由って引き起こされる失政が重なり、国民の政権離れを引き起こし、やがて政権崩壊へ――このような集団思考の弊害が、独裁体制を強化する一方の習近平政権の周辺で起こることはないだろうか。
『批判壊戯文輯』(人民文学出版社)では「斬経堂」、「王宝釧」、「一棒雪」、「三娘教子」、「金印記」、「荊軻刺秦」、「覇王別姫」、「斬韓信」、「捉放曹」、「撃鼓罵曹」の10本の伝統京劇名狂言を公序良俗に反し、社会道徳を歪め、人々を惑わす「壊戯」であることを徹底的に解き明かしている。もっとも何に対して「壊(わるい)」のか。ここが問題なのだが。
芝居は娯楽、娯楽は宣伝、宣伝は教育、教育は洗脳だからこそ、共産党はメディアを制することに腐心する。なぜならメディアは革命の広い基盤・強固な土壌を造成するためには絶対必須だからであり、それゆえにメディア全般掌握に腐心してきたのである。
もっとも圧倒的多数が農民であり、彼らは文字を知らないという現実に立てば、封建王朝であろうが、農民叛乱勢力であろうが、国民党であろうが、共産党であろうが、自らの主義主張を伝えるには芝居が手っ取り早い手段だった。このカラクリを最も有効的に駆使して農民を教育し、支持勢力拡大に努めたのが毛沢東ということになる。
というわけで「壊戯」と指定し、こういった悪い芝居は上演するな、見るな、と示すことで何が「壊(わるい)」のか。つまり文革時代の共産党政権の立場からする公序良俗、社会道徳を教育しようと狙った。だから共産党にとって演芸は政治そのものなのである。
ここで『批判壊戯文輯』が「壊戯」として罵倒・糾弾する10本の京劇の粗筋を見ると、基本的には儒教思想に沿った刻苦勉励・孝子節婦を讃え、勧善懲悪を教え諭す物語であり、曹操のような悪逆非道を糾弾する演目であることが分かる。しかも10本が共に伝統的な名狂言だから、批林批孔運動からして何が何でも「壊戯」としなければならなかった。
「戯迷(きょうげきくるい)」を自認する筆者としては、先に挙げた10本の「壊戯」の一つ一つを俎上に載せ、詳細に論じたいところだが、ここはグッと我慢し、国共内戦の入り口と出口に絶妙な役割を果たした「覇王別姫」を取り上げるに止めたい。《QED》