【知道中国 2623回】                      二四・一・初四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習289)

ここで『論淝水之戦』は1975年の現実の中国に立ち戻り、「輝ける勝利」を目指し、「こういった軍事上の誤った措置は〔中略〕、じつは政治上の誤り――内部の結束の乱れと社会の不安定――と緊密に関連している」と指摘した後、「目標が一致してこそ団結が可能となり、一致団結してこそ断固として無敵となりうるのだ。プロレタリア階級は人類解放、共産主義実現という至上の大目標をしっかりと持つ。この至上の目標に鼓舞され、『国家の統一、人民の団結、国内各民族の団結』をさらに強加し、社会主義の革命と建設へのより輝ける勝利を保障しよう」と熱く語っている。

振り返って見れば『論淝水之戦』が出版された当時は、1966年の文革開始から10年ほどが過ぎていた。

この間、毛沢東が仇敵と指弾する「人民の敵」は「中国のフルシチョフ」こと劉少奇と定められ、劉少奇が屠られるや「孔子の忠実な学徒」である林彪へと激変する。たしか林彪は「毛主席の親密な戦友であり後継者」と内外に伝えられたのではなかったか。やがてワケの分からないままに批林批孔運動が始まり、全土を覆う雰囲気は知らず識らずのうちに儒家排斥から法家礼賛へと変貌していった。

この間、圧倒的多数の国民は「偉大なる領袖」に指図されるがままに政治運動に動員され奔走し翻弄されたわけだ。だが、「革命の大義」を掲げた国を挙げてのハデで激しい政治闘争も、一歩立ち止まって考えればバカバカしい限り。やはり骨折り損の草臥れ儲けだっただろう。ならば国民の間に文革への厭戦気分、毛沢東思想原理主義を掲げる四人組に対する嫌悪感、『毛主席語録』を打ち振っているだけではメシが喰えない現実への危機感などが高まり、国内が四分五裂状況にあったであろうことは容易に想像がつく。

であればこそ「国家の統一、人民の団結、国内各民族の団結」を強調し、党組織の団結と再建を第一に掲げねばならなかった。やはり切羽詰まった苦肉の策だろうか。

ところで毛沢東が『中国革命戦争的戦略問題』で弱軍が強軍に勝利した典型として高く評価する淝水の戦を、台湾海峡を挟んだ両岸関係に援用して考えてみようかと思う。それというのも、2024年の年頭に際し、習近平が「台湾統一は歴史の必然」と内外に向かって言明しているからである。

 先ず両岸の軍事力比較では、東晋対前秦のそれとは比較にならないほどの差だろう。だが東晋と同じように台湾側が「自らの内部の団結と後方の安定をテコにして、脆弱な経済力と微少な兵力という弱点を補」おうと努め、対する大陸側における習近平一強体制の内部で統一と安定に問題が生じたとしたなら、強大な経済力と質量共に圧倒的に優位にある兵力を削ぐことにつながりかねないようにも思える。

 ここで「台湾有事」が発生したと仮定し、『論淝水之戦』が纏めた東晋と前秦両国における戦争最高指導層の資質の違いから海峡両岸の指導者の振る舞いを想像してみるのだが、

――台湾側文武の高級官僚の間は、武官と文官の間が協力・信頼の強い絆で結ばれている。対する大陸側では最高指導者である習近平の誤った指令が矛盾を激化させ、加えて異なった意見には全く耳を貸さず、常に自らが正しいと思い込んだ軍事作戦を主張し、両軍が直面している状況について実情にそぐわない判断を下すばかりか、人民解放軍の戦力を過大評価し、台湾軍を盲目的に軽んじ、結果として誤った軍事作戦を展開してしまう――

そこで、再び『論淝水之戦』が指摘する前秦の敗因を援用して考えるのだが、

一:大陸側の戦争最高指導者に納まる習近平は国を挙げて大軍を動かすことで、後方に戦力の真空地帯が生まれる可能性は高まる。そこで結果的に北・西・南方からの他勢力(露軍? 米軍?)に侵略の機会を与えてしまうことはなかろうか。《QED》