【知道中国 2619回】                      二三・一二・念七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習285)

だがアヘン戦争は中国に筆舌尽くし難い惨禍をもたらす。それというのも「人民の戦いは売国的な清朝官吏と動揺をきたした地主によって打ちのめされてしまった」からである。

「清朝政府がフランスとの戦争において戦わずして敗れたことが、資本主義列強の中国分割の野心を助長した」。そこで「1894年(旧暦甲午年)、日本は中国と朝鮮を侵略する甲午中日戦争を発動」することとなった。この戦争は「日本軍国主義者が拡張政策を推進し、中国侵略の野望を逞しくする過程において必然的に行き着いたもの」であった。

はやくも「1869年、日本の明治天皇は『御親筆』なるものを明らかにし、『万里波濤を拓き、国威を四方に宣布せよ』と叫ん」で、「海を隔てた近隣の中国と朝鮮の侵略」を推し進めた。かくて日清戦争に突き進む、というわけだ。

日清戦争の章は最終部で日本の台湾領有を論じ、「台湾人民が日本統治に反抗して半世紀、この武力を恃んでの暴政にも屈しない頑強な精神こそ、『我らが中華民族は自らの敵に対し断固として血戦を貫徹する気概を持つ』ことを表している」と強調されている。

以上から、共産党による近代史認識――勇敢なる中国人民が強暴・邪悪な外国侵略者に果敢に戦いを挑むが、侵略者の走狗となった封建地主や軍閥が現れて、肝心なところで人民は敗北の瀬戸際に追い詰められてしまう。そこに登場するのが毛沢東――を読み取ることができるのだが、これを一気に飛躍させ戯画化して捉え直しみたらどうだろう。

たとえば創生期のプロレスである。シャープ兄弟を侵略者に喩えれば、「ア痛タッの遠藤」こと遠藤幸吉、あるいは「火の玉小僧」の吉村道明が人民だろうか。するとレフリーの沖識名は、さしずめ封建地主か軍閥といった役どころ。かくて舞台は整った。シャープ兄弟が遠藤なり吉村を悪辣な反則攻撃で痛めつける。沖識名は反則を咎める風を装いながら、シャープ兄弟を手助けする始末。味方ズラした敵である。遠藤も吉村もグロッキーだ。

かくて阿修羅と化した力道山が登場し、怒濤の空手チョップを振るって全ての悪を懲らしめ勝利を勝ち取る。力道山の動きは毛沢東の働きを思い起こさせるに十分だ。

古臭く、余りにも不謹慎でカビ臭い喩えであることは十分に承知しているが、かくて人民の死闘は力道山、いや毛沢東の登場によって大勝利に導かれる・・・毛主席万歳!

残る『青年自学叢書 写作漫談』(上海人民出版社)は、小説から調査報告まで、およそ革命を推し進めるための文章術を数々の例文を挙げながら分かり易く解き明かす。

文芸は「人民を団結させ、人民を教育し、敵を打ち破り、敵を殲滅させる有力な武器」であり、「プロレタリア階級独裁を強固にする強大な手段」であるとの毛沢東の教えの実践を最重要課題とする。そこで問題となる「文風」については、次のように説く。

「文風は、文章に見える作者の世界観と思想的作風の反映である。だから革命を発揚するための文風は作者自身に世界観の改造に突き進み、一心不乱にマルクス・レーニン主義と毛主席の著作を学び、実際の闘争に深く踏み込み、社会から学び、工農兵大衆に学ばなければならないことを求める。このような基礎に立って、さらに言葉と文章作成上の知識を身につけることが重要だ。

個人がプロレタリア階級の遠大な革命思想、強固な革命の立場、火のように熱い革命の激情と科学的思想方法を具体的に備えてこそ、その文章に正確で、鮮明で、躍動するマルクス・レーニン主義の文風を備えることができる」

――どうやら革命を煽るための完璧な文章をモノにする大前提として、自らを絶対無比の革命者に育て上げる必要があるらしい。厄介なことではあるが、ここで魏の最初の皇帝である文帝(曹丕。曹操の息)が説いた「文章は経国の大業にして不朽の盛事」をフトと思い出す。どうやら文章は「革命の大業にして不朽の盛事」ということだろう。《QED》