【知道中国 2616回】 二三・一二・念一
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習282)
文革時代に生き返って、自分が「虱」と呼ばれていると知ったら孔子はどのような反応をみせただろう。「天の怒りを知れ!」と烈火の如く怒り狂う。怒りに逆立つ髪を掻きむしり自らの不明を恥じ、学問の至らなさを激しく責め苛み自戒する。あるいは遙か後世の20世紀後半になって非人道的で反文明的な文革などという非中華文明的権力遊戯に取り憑かれ、自分をクソミソに貶める毛沢東ではあるが、やはり寛恕(ゆる)す――。
色々と妄想は尽きないが、批林批孔運動をシャカリキに推し進めていた当時の共産党の歴史認識に立つなら、孔子の教えは二千数百年の永きに亘って「偉大な中華民族」の発展を阻害し、社会を停滞させ、民族精神を蝕み続ける。そこ「根絶せよ!」とばかりに批林批孔運動の発動に至った。こんなリクツとなるに違いない。
孔子は「偉大な中華民族」という龍の身中に巣くってしまった「虱」となる。そこで完膚なきまでに徹底して取り除かねばならないと思い立つのは当然であり、民族にとっての害虫を駆除する“空前の大事業”に対して部外者である我ら「海上の三山」の草民がとやかく咎め立てすべきでないことは・・・百も承知、二百もガッテン。
やはり中国と中国人を蝕み続ける害虫であるなら、世界的ブランドのマルクス・レーニン主義であれ、あるいは「百戦百勝」のキャッチコピーで知られる中国特産の毛沢東思想であれ、持ちうる限りの高性能超強力精神殺虫剤をドンドン使って憚られることがあろうか。間違ってはいない。ゼッタイに正しい。
だが、その後の推移から考えるなら、それら殺虫剤は一向に効かなかった。モノの役には立たず、「偉大な中華民族」からの「虱」の完全駆除は見果てぬ夢でしかなかった。「偉大な中華民族」から「虱」を切り離すことができない。ということは「虱」を完全駆除してしまったら、「偉大な中華民族」ではなくなってしまうことを意味しないか。やはり孔子は「虱」などではなく、「偉大な中華民族」にとってかけがえのない存在だったようだ。
そのことに気がついたからこそ、ノーベル平和賞の向こうを張って孔子に対する讃仰の意を込めて「孔子平和賞」を創設し国際社会への貢献を打ち出す一方、「孔子学院」と呼ぶ教育機関(?)を世界各地に設立して「偉大な中華民族」が育む文化の海外普及を進めているのだろう。とはいうものの批林批孔原理主義の立場に立てば、飽くまでも「虱平和賞」「虱学院」でなければならないはずだが、これでは、やはり体裁が悪すぎる。
閑話休題。
ここからは『秦始皇的故事』と『曹操的故事』の2冊を少し丁寧に読んでみたい。手始めは『秦始皇的故事』である。
幼少年世代に“正しい歴史”を学習させることを狙って編集された「少年児童歴史読物」シリーズの1冊である『始皇帝的故事』では、始皇帝は次のように評価されている。
「我が国古代の新興地主階級の傑出した政治家であり、法家を高く評価し、儒家に反対し、暴力によって中国全域において奴隷制を復活させようとした勢力を掃蕩した偉大な法家である。中国の統一を断固として堅持し、分裂に反対し、我が国の歴史において最も早い時期に多民族による統一された中央集権国家を創建した最初の人物である。時代を前進させ、後退を許さず、政治・経済・軍事・文化などの各領域で大胆な改革の斧を揮った、現実的な専門家である」と、まさに手放しの大絶賛なのだ。
始皇帝が生まれたのは「封建制が奴隷制に全面的に取って代わろうとする狭間の時代」であり、「新興地主階級と没落奴隷所有者階級の間で」激烈な闘争が展開されていた。やがて「比較的徹底して政治改革が進められた秦国が、必然的に封建統一を実現する歴史的重責を担うこととなった」。これが共産党の歴史認識の正調版となるに違いない。《QED》