【知道中国 2615回】                      二三・一二・仲九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習281)

『西門豹資料輯注』(本社編 上海人民出版社)は、『史記・滑稽列伝』に戦国時代(紀元前771年~同221年)の魏の強国化を達成したと記される西門豹(生没年不詳)を「法家政治家、戦闘的無神論者」と捉え、その事績の関する史資料を集め詳細に解説している。

批林批孔運動の一環であることは間違いないのだが、歴史を遡って“法家探し”に努め、その功績を大いに顕彰したところで、はたして批林批孔運動に資することになるのか。

そもそも毛沢東の揺るぎない正しさを国民に徹底するために林彪の“悪行”を白日の下に曝し、その大前提として取って付けたように孔子(儒家)を引っ張り出し、その反人民性・反歴史性を徹底的に証明するために法家を持ち出したところで、だからといって文革が正しいわけではないだろうに。もはや“悪足掻き”のレベルに立ち至ったとしか思えない批林批孔運動だが、これがまだまだ続くのだから、やはり不思議、いや呆れ果てるしかない。

なお『西門豹資料輯注』は5万部が出版されている。

1975年5月になると、毛沢東が反四人組の立場を明確に打ち出す。

3日、政治局会議を主宰した毛沢東は「マルクス・レーニン主義を進めるべきで、修正主義に奔ってはいけない。団結第一であり、分裂は避けなければならない。公明正大が肝要であり、陰謀奸計をやってはダメだ。『四人組』を企んではならない。企んではならんのに、どうして相変わらずなのか」と語ると共に、経験主義だけを批判し教条主義に反対しない立場の不当性を語った。

同日、鄧小平が行った知識分子が「臭老九」と蔑視されている事態に関する報告を受け、毛沢東は「老九(知識分子)を排除するな。まだ必要だ」と応じた。

27日、毛沢東は鄧小平による政治局会議主宰に賛成すると共に四人組幇助の動きを批判した。

2日後、鄧小平は人民大会堂における鋼鉄工業座談会代表と接見し、「強力で、『敢』の一文字を念頭に置く有能な指導集団を打ち立てねばならない」と語っている。どうやら鄧小平は、毛沢東の影響力を背景に四人組排除の方向を打ち出したようだ。

5月下旬には共産党特務の親玉で“中国のベリヤ”と呼ばれる康生が毛沢東の身の回りの世話係の王海蓉・唐聞生を通じて毛沢東に「江青、張春橋は叛徒である」と伝えたとか。これが事実なら、毛沢東、鄧小平、康生が四人組包囲に向け動き出したことになる。

――共産党最上層で反四人組の動きが見られるようになってきたにも拘わらず、相変わらず批林批孔と法家評価を企図する出版は続く。

5月出版で手持ちは『読一点法家著作 四』(北京大学哲学系工農兵学員編 人民教育出版社)、『儒法闘争簡史講稿』(天津鉄路分局天津站理論小組 人民出版社)、『除“虱”篇 批林批孔雑文集』(人民文学出版社)、『秦始皇帝的故事』(呉駿 上海人民出版社)、『曹操的故事』(盧湾区工宣弁《曹操的故事》編者組篇 上海人民出版社)の5冊だが、前3著は書名からだけでも内容は類推可能であり、敢えて取り上げる必要はないだろう。

それにしても『除“虱”篇 批林批孔雑文集』という書名には、驚きしかない。

これまで読んできた批林批孔闘争期の多くの孔子批判論説を思い返してみても、孔子を「孔老二(孔子のクソッタレ、老いぼれ、アホ)」と罵りはするものの、さすがに「虱」とまで呼ぶことはなかった。罵詈雑言の類としては同じようだが、「孔老二」と「虱」とでは軽蔑と憎悪の次元が格段に違うはずだ。

林彪はともあれ、古来、中国における政治秩序の根幹、社会的道徳の規範とされ、「至聖」とまで崇め奉られてきたはずの孔子が、な、なんと「虱」だったとは。《QED》