【知道中国 2613回】                      二三・一二・仲五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習279)

だが、だからといって出版から半世紀が過ぎた現時点で『怎様糾正病句』を見直した場合、必ずしも異常なまでの時代のイビツな出版物とも思えない。「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想」の色合いを取り除いてみれば、中国語文章作法における参考書としては十分に役立つと思えるのだが。

なお1975年3月出版部数を判明した分だけ示しておく。

『日用応用文』(上海人民出版社):40万部

『怎様糾正病句』(上海人民出版社):8万部

1975年4月1日発行の理論雑誌『紅旗』を開くと、四人組の中心人物である張春橋の「論対資産階級的全面専政」が目立つ。この中で張が「ブルジョワ階級の法権制限の歴史と現実的意義」を展開すると、これに呼応したと思われるが江青は「現在の我々にとっての主要な危機は教条主義ではなく、経験主義だ」と繰り返すこととなる。批林批孔運動の渦中に突然「経験主義」への批判。やはり敵を周恩来に定めてのことなのか。

4日、中共遼寧省委員会宣伝部要員で1969年に毛沢東と文革の誤りを主張して投獄されていた張志新に死刑が執行された。獄中で迫害・陵辱を受けながらも、彼女は「一共産党員としての宣言」「質問・控訴・声討」などの文章を発表する一方、「誰的罪」「迎新」などを作詞し、自らの主張を貫いた。処刑を前に陵辱され、最後は抗議の声を上げないよう気管を切られたと伝えられる。誰の指令なのかは分からないが、残酷が過ぎる。

 23日、毛沢東は四人組の姚文元に対し、「経験主義と教条主義は共に修正主義であり、一方だけを批判の俎上に載せることは間違いである」と伝えたとのこと。経験主義批判に関連すると思われるが、27日の中共政治局会議では江青は自己批判をしている。

 文革の動向とは直接的には関係がなさそうだが、その後の中国の動向に少なからざる影響を与えることになる内外環境が激変したのも、この月であった。

 2日には1911年の辛亥革命以来の政治動向に大きな影響を与えてきた共産党最長老の董必武(1889年生まれ)が、3日後の5日には蔣介石(1987年生まれ)が死亡した。

 17日に中国はカンボジアにおけるクメール・ルージュによるプノンペン制圧を支持し、30日には毛沢東・朱徳・周恩来が連名で南北両ヴェトナムの指導者に祝電を送り、アメリカに支持された「ヴェトナム共和国(南ヴェトナム)」の崩壊を祝った。

 18日、毛沢東は鄧小平を伴って訪中初日の金日成と会見(なお金訪中は26日まで)。

 ――こう振り返ると、国内では毛沢東と四人組の間に批林批孔運動に関しての思惑の違いが顕在化する一方、周辺の国際環境をみるなら、台湾との関係は毛沢東と蔣介石、共産党と国民党の対立を軸にした従来からの“近親憎悪的側面”が薄れる方向に転換する。またインドシナにおける反米基調の協力関係が崩れ、カンボジアにおける毛沢東思想原理主義のポル・ポト政権の誕生で、中越関係が従来の友好から対立へ。どうやら反米救国・民族解放の大義(イデオロギー)の時代が幕を閉じ、民族的利害(アイデンティティ-)が真正面からの対立する時代へと大転換する分水嶺が1975年4月ではなかったか。

 この月に出版されたもので架蔵するのは『認真看書学習 搞好批林批孔 《紅旗》雑誌文選』(人民出版社)、『《荀子・天論》評注』(首都鋼鉄公司煉鋼廠白雲車間工人理論小組 中華書局)、『西門豹資料輯注』(本社編 上海人民出版社)の3冊。

 『認真看書学習 搞好批林批孔 《紅旗》雑誌文選』は1974年第二期から75年第一期の間の『人民日報』に掲載された批林批孔関連の40数本の論考を収めている。

どれを読んでも既視感に満ちた内容で説得力に乏しく、「批林批孔運動はプロレタリア文革の勝利の成果を固め発展させる」などの“雄叫び”が空しく響くばかりだ。《QED》