【知道中国 2610回】                      二三・一二・初九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習276)

ここで『新印譜 三』に戻る。最初に文革の狼煙が上がったのは京劇だった。

京劇が標的になったのも、毛沢東が「京劇は四旧そのものだ。だから旧い文化の象徴である京劇をぶち壊して新しい京劇を産み出すことができたら、四旧打破の戦いは全面展開できるし、完全勝利は約束されたようなものだ」と煽ったからだ、と考えられる。

かくして「毛主席のプロレタリア階級文芸路線の指導下、江青同志が心血を注ぐことによって育まれた革命様板戯はプロレタリア文芸革命の勝利の成果であり、プロレタリア文化大革命が生んだ新生事物である」と、『新印譜 三』の「出版説明」は京劇の革命に尽くし、文革に先鞭をつけた江青の功績を大いに賞賛(ヨイショ)する。

江青創造による文革の「新生事物(成果)」として労働者や農民、さらには抗日兵士を正面人物(主人公)に仕立てた「革命様板戯(革命現代模範京劇)」が大いに讃えられた。もっとも四人組失脚後に綴られた京劇関係者の回想には、京劇革命に江青は関係がないばかりか、むしろ妨げだったとの恨み辛みが綴られている。やはり負ければ賊軍なのである。

 『新印譜 三』は、その革命現代京劇の有名な台詞や歌詞の一部を彫った篆刻作品――おそらく、当時を代表する篆刻家の作品だろう――を収録している。

 たとえば「中朝弟兄は患難を同(とも)にす」「階級の仇、民族の恨み、共に天を戴かず」「党の指示は我に無窮の力量(ちから)を賦与(あた)えたもう」「勝利のうち、須らく清醒(さめ)た頭脳(あたま)を保持せよ」「偉大なる領袖毛主席に従い、共産党に従う」「土豪(じぬし)を打(ころ)し、田地を分かてば、紅旗は招展(はため)く」などだが、これらの作品を目にすると、篆刻家たちのウデの冴えとは余りにも対照的な不粋極まりない文面に呆れ果てるしかない。

伝統を否定しながら篆刻という伝統を誇る滑稽さに、当時は矛盾を感じなかったのだろうか。伝統を武器にして伝統否定に奔る矛盾とは、まさに絶対矛盾の自家中毒としか表現しようがない。これもまた文革が抱えた“不都合な真実”の1つといっておきたい。

だが、一歩立ち止まって考えると、はたして自らが身につけた伝統のワザだけではなく、文革のバカバカしさを後世に遺そうと企んだ篆刻界を挙げての密やかな抵抗、一種の知的ゲーム――政治に恭順の意を示す風を装いながら、政治を弄んでやろうじゃないか――と受け取れないこともないだろう。例のアレ。支配しながら支配する、というアレである。

 1975年2月出版のうち、出版部数が判明している分は、

『《論語》選批』(上海人民出版社):10万部

 『『孟姜女』是一株尊儒反法的大毒草』(広西人民出版社):18万部

 『新印譜 三』(上海書画出版社):8万部

1975年3月1日、理論雑誌『紅旗』は「プロレタリア独裁の問題を明確にしないと修正主義に変質してしまう」との毛沢東の指示に拠って、「マルクス、エンゲルス、レーニン、プロレタリア独裁を論ず」を掲載した。同誌には四人組の姚文元が「論林彪反党集団的社会基礎(林彪反党集団の社会的基礎を論ず)」を寄せ、「ブルジョワ階級の法権を制限せよ」と主張している。

ここで首を傾げざるをえないのが、なぜ、この時期に「プロレタリア独裁」やら「ブルジョワ階級の法権」を論じなければならいのか、である。1966年以来、国を挙げて9年も続けた文革にも拘わらず中国のプロレタリア独裁の基盤は脆弱であり、ブルジョワ階級は不死身と考えるなら、なんのための9年間の“悪戦苦闘”だったのか。

29日付けの毛沢東宛の書簡で周恩来が「4年間、血便が止まず」と明らかにした、とか。真偽不明の書簡だが、行間には毛沢東に対する“怨嗟の念”が滲む。《QED》