【知道中国 2608回】 二三・一二・初五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習274)
孟姜女伝説を、古代から中国で伝わってきた女性の道徳律、ことに寡婦に課せられた婦徳といった視点から読み解く――中国人の《生き方》《生き姿》《生きる形》としての中国文化を考えるうえでも極めて興味深いテーマではある。だが文革一直線であればこそ、ここで寄り道をしているわけにはいかないから、宿題としておいて先に進むこととする。
『厳復伝』(王栻 上海人民出版社)は、毛沢東が「1840年のアヘン戦争失敗以来、先進的中国人は筆舌に尽くし難い苦労の末に、西方国家に真理を求めた。洪秀全、康有為、厳復と孫文は、中国共産党出現以前に西方に真理を求めた人物である」と記す厳復(1854~1921年)の評伝である。
清末にイギリスに留学し、軍事学を修める傍ら、広く西欧の文化・思想を学び、ハクスリーの『進化と倫理(Evolution and ethics)』を『天演論』として翻訳するなど、西欧近代思想の紹介に努め、清末の近代化に大きな思想的影響を与えた厳復の人生を詳細に追っているが、共産党公認の歴史認識に拠るなら、しょせん厳復は「新興ブルジョワ階級の啓蒙思想家」でしかなく、半殖民地半封建の中国を救うことなどは不可能だった。
かくして「歴史が証明しているように、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想というプロレタリア階級の解放を勝ち取る武器を手にしてこそ、貧しく立ち遅れた半殖民地半封建の旧中国を繁栄と富強の新中国に徹底して建設することができる」との結論となる。
どこをどう進んでも行き着く先は同じ。「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想」以外は考えられない。いや、考えることすら許さない。これが共産党政権の現実であり宿痾だ。
これまでも見られたが、純然たる漢語教育に関する解説書の出版は“粛々”と続く。『語文知識講座』(虞群 天津人民出版社)、『小学教師用 普通話練習手冊』、『小学漢語拼音教学問答』(共に文字改革出版社)がそれだ。『小学教師用 普通話練習手冊』は73年5月出版の、『小学漢語拼音教学問答』は73年11月出版の再版である。
共に冒頭に「全ての幹部は普通語を学ばなければならない」「なぜ言葉は大いなる決意を以て学ばなければならないのか。言葉というものは適当に学べばいいものではなく、一生懸命に学ばなければならないからだ」との『毛主席語録』からの引用が示されているが、共産党政権が少数民族を含む国民全体を独裁統治下に置くためには、やはり漢語(=普通語)による統一こそが急務だということだろう。
少数民族に対する漢語教育の強要は文革イデオロギーを別にしてでも、強固な政権基盤を前提とするなら、やはり突き進むべき道――習近平政権の少数民族への漢語教育強要政策の根源は同政権だからではなく、やはり共産党政権にとっては“譲れない一線”と考えるべきだろう。
この月、じつに奇妙な内容の『新印譜 三』(上海書画出版社)が出版されている。文革を象徴する革命現代京劇の歌詞と文革が否定した「四旧(旧い文化・思想・風俗・習慣)」の一部である篆刻が合体された点がグロテスクまでに珍妙、いや奇妙なのだ。
篆刻は単に印鑑を彫るというのではなく、印材や字体、さらには彫る文字や章句を選ぶ。八方手を尽くしても手に入らないような奇石を求め、彫る文字や章句に相応しい字体を構想する。彫りあがった石の姿が美しく、紙の上に捺された1つ1つの文字の形、文字配列の妙、刻まれた文字全体とその文字が表す意味と印材の色艶との総合的な調和など、蘊蓄を傾けだしたら際限がない。であればこそ芸術の域にまで到達したのである。
篆刻は「我が国の悠久の歴史を持つ独特な伝統芸術」(「出版説明」)で、古くから権力者、金持ち、文人墨客や貴人の間で伝えられてきた嗜みの1つでもあった。文革的に表現すると、根絶すべき“封建文化の残滓”の典型となるはずだった・・・のだが。《QED》