【知道中国 2604回】 二三・一一・念七
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習270)
「読者によるマルクス、レーニンの著作や毛主席の著作学習を手助けし、階級闘争と路線闘争に対する覚悟を高める」ことを目指しているとはいえ、「努めて簡明に解説し」ていると強調しているだけあって、議論は呆気ないほどに単調・単純で強引。だから面白くない。眦を決して読み進むほどに肩透かしを食らったようで、脱力感が増すばかり。
それというのも、遥かに昔の孔子・孟子、墨子などの諸子百家からはじまって董仲舒、王充、韓愈、柳宗元、王安石、朱子、王船山、康有為、譚嗣同、章炳麟、孫文までを論じているのだが、彼らが悪戦苦闘の人生から紡ぎだしたであろう考えを、唯心論と素朴唯物論のどちらかに強引に腑分けし、単純にレッテルを貼ってしまうからだ。唯心論者を歴史の進歩を阻むものと機械的に批判・罵倒する一方で、素朴唯物論者を歴史の歯車を前に進ませようしたと無批判に激賞するばかり。これでは安直に過ぎる。
孔孟の時代から20世紀初頭までの長い歴史において繰り返されてきた思考の格闘の歩みが、「善と悪」「是と非」「唯心と唯物」とにスッパリと切り分けられるほどに単純だとは思えない。単純明快が過ぎるから、解説は強引で自家中毒気味に破綻している。
たとえば吉田松陰の思想に大きな影響を与えたといわれる李卓吾(1527~1602年)に対する評価にしても、過激極まりない儒教批判と反儒教の立場に立った法家思想重視の姿勢を大いに称揚することはともかく、彼の思想を唯心主義と認めながら、「素朴唯物主義思想を武器に戦いを進めた」と評価する。どうやら共産党史観では李卓吾を捉えるなら、「素朴」とはいえ唯心思想と唯物思想との相反する思想に生きたことになるらしい。
やはり複雑微妙に入り組み絡み合った思想の歴史を単純な二分法で切り分けたら、ムリが生ずる。そのムリを承知でガマンを重ねながら読み進んでいくと、最後の最後になってドンデン返しを喰らってしまった。
この本は五四運動の失敗の中から、「『中国は全く新しい文化の主力軍を産み出した。つまり中国共産党人が導く共産主義の文化思想であり、共産主義の宇宙観と社会革命論である』(毛沢東『新民主主義論』)。これ以後の中国思想史とは、まさに光り耀ける毛沢東思想が勝利から勝利へと向かう歴史である」と結論づけた後、最終327頁目の最終の3行を「ただ社会主義だけが中国を救うことができる。/ただ毛沢東思想だけが中国を救うことができる。/これこそが歴史の結論である」と、“感動的”に結ぶのであった。
つまり1919年の五四運動を経た後、中国人民は初めて主体的な思想である毛沢東思想を持つことができた。孔孟から出発し毛沢東以前までの中国に主体的思想はない――そのことを、若者の頭の中に叩き込もうとすることこそ、『中国哲学史講話』出版の狙いであったに違いない。
「毛沢東思想だけが中国を救うことができる。/これこそが歴史の結論である」と胸を張ってみせるが、それが大いなる幻想に過ぎないことを、あるいは大多数の国民は文革に責め苛まれたた日々の生活のなかで、暗々裏に感ずるようになっていたのではなかろうか。
文革は1966年の開始から数えてすでに9年目に突入した。だが、国を挙げての狂瀾怒濤の結果として中国が直面してしまった現実――中国を窮地に追い込むような国際環境、民力の衰退、民心の荒廃、共産党への素朴な信頼感の低下など――は厳しさを増すばかり。それゆえに「社会主義だけが中国を救うことができる」わけでもなく、「毛沢東思想だけが中国を救うことができる」はずもなく、ましてや「これこそが歴史の結論である」わけでもないことに、多くの国民がウスウスながら気づき始めていたはずだ。
言い換えるなら国民の文革離れ、党に対する嫌悪感の増大に強い危機感を抱く周恩来や鄧小平らの現実派がマトモな政治体制再構築に向け動き出したようにも思える。《QED》