【知道中国 2593回】 二三・一○・念八
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習259)
批林批孔闘争や儒法闘争に関する論文の発表は相変わらず続いた。
たとえば1日には羅思鼎の「論北宋時期愛国主義和売国主義的闘争」が『紅旗』(第11期)に、24日には同じ羅思鼎の「論西漢初期的政治与黄老之学」が『学習与批判』に掲載され、28日の『人民日報』は社論として「継続?好批林批孔」を発表している。
病状は好転しないものの、周恩来は毛沢東による国政面での鄧小平重用に賛意を表す一方、25日には入院中の305病院でキッシンジャー米国務長官と面談した。
10月から11月にかけて、上海の四人組系メディアを中心に、国産自力建造外洋船・風慶輪(号)による外国訪問航海完遂を「自力更生」の成功例として大々的に報じた。風慶輪に関する一連の報道が周恩来追い落としを意図していたことは明らかであり、「老儒家(老いぼれ儒家)」の3文字で周恩来を暗示させ、老いぼれ世代の抹殺が新しい時代への第一歩だと言わんばかりに「老的不去掉、新的起不来」と秘かに囁かれていたとか。
11月10日、文革全体の流れだけではなく、その後の中国の方向を考える上で注目すべき事件が広州市の中心部で発生した。李一哲名義で「関於社会主義的民主与法制」と題する大字報(壁新聞)が貼り出され、「民主と法制の問題は中国と中国人民にとって極めて重大な問題である」と訴えたのである。
文革に対する疑義を公然と指し示し、人々に(1)現代中国は封建的社会ファシズム専制国家と化した。(2)人民の諸権利を真に保証する法体系を確立し、人治を排し法治を行わなければならない――と問い掛けた。
毛沢東体制批判に直結する主張だけに広東省党委員会は周章狼狽し、「反動的大字報」と断罪し、影響の拡大を押さえよう必死に画策する。だが、李一哲がガリ版刷りなどのローテク・メディアによって瞬く間に全国に拡散してしまった。所詮は後の祭りだろうが、当然のように3人は逮捕・投獄された。なお釈放は4人組失脚後の1978年末である。
ところで李一哲とは李正天(広州美術学院卒業生)、陳一陽(知識青年)、王希哲(広東水産製品廠労働者)の3人から1字ずつを採ったペンネームである。ところで流石に毛沢東だけあって、李一哲の行動を「一件好事(素晴らしい事だ)」と鷹揚な反応を見せたらしい。ともあれ李一哲が放った一撃は文革に“黄昏”が迫りつつあることを予感させた。
1974年11月に出版されたもので現有は、『読一点法家著作 二』(北京大学哲学系工農兵学員編 人民教育出版社)、『堅持革命団結 深入批林批孔』(上海人民出版社)、『歴史知識読物 春秋戦国時期法家代表人物簡介』(北京師範学院歴史専業73届工農兵学員 中華書局)、『歴史知識読物 中国奴隷社会』(張景賢 中華書局)、『秦始皇』(北京大学歴史系中国史専業七二級工農兵学員編写 人民出版社)、『法家反儒闘争故事新編 王安石・李贄』(広東人民出版社)、『商君書注訳』(高亨注訳 中華書局)である。
前回引用の『スターリンの図書室 独裁者または読書家の横顔』の表現を借りるなら、これらは「党内反対派の『悪魔化』」のための論考(小道具、あるいは武器)であり、これまでも飽きるほどに扱ってきた同類書籍と異なった新しい視点・主張は認められない。
それにしても、である。批林批孔の為に表紙だけと差し替えたような書籍の出版を絶え間なく続ける“根気と執念”には、正直言って頭を垂れるしかないだろう。ここら辺りの“執着力”にも頭を垂れるしかない。まさにマイリマシタ・・・。
かくして『スターリンの図書室 独裁者または読書家の横顔』が指摘した「自らの運動が社会的と歴史の科学的理論に裏打ちされており、自分たちのみが絶対的真実に到達しうると信じた」とのボルシェビキの特性は、林彪は孔子の末流であるから政治的・社会的に抹殺しなければならないとの考えの持ち主たちに重なり合うように思えてくる。《QED》