【知道中国 2591回】 二三・一○・念四
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習257)
『康徳星雲説的哲学意義』は僅かに116頁の分量ながら、読み進むほどに思考の迷路に落ち込んで抜け出せなくなってしまうこと請け合いだ。そこで頭に浮かんでくるのが、いったい文革とは、なにを最終目標にしていたのか。改めてワケが分からなくなってしまうのである。
映画監督の陳凱歌は自らの半生を回顧した『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書 1990年)において、「文革とは、恐怖を前提にした愚かな大衆の運動だった」と語っていた。文革の大混乱に14歳で身を投じた経験を通して、彼は「大事なのは信じることそのものであって、なにを信じるかではない。信じることが可能なうちは、まだこの世に希望が残っている。純真さと勇気とを抹殺してしまえば、後に残るのは暴民でしかない」と苦々しく呟いた。
現実離れした荒唐な議論がギッシリと詰め込まれた『康徳星雲説的哲学意義』の行間からは、たしかに「恐怖を前提にした愚かな大衆の運動」の欠片すら見つけられない。だいいちカントの哲学を突き詰めたとしても、「愚かな大衆の運動」と交差するとも思えない。ましてや毛沢東思想を学んだところで、「愚かな大衆の運動」が「康徳星雲説的哲学意義」に辿り着くなんぞの知的芸当は、まことに失礼とは思うが至難だろうに。
とどのつまり思想的消化不良を容易に引き起こすに違いない生硬な議論であればこそ、「恐怖を前提にした愚かな大衆の運動」を煽りまくり、勢いの赴くままに「暴民」の大量生産に行き着いてしまった。これが文革の一面の帰結ではなかったか。
孔子から始まり科挙制度に典型的に見られるように学問と政治、学者と政治家の一人二役のような密接した関係を伝統とする中国にあって、共産党独裁政権は、この伝統を結果的に忠実に履行したように思う。
20世紀の中国を代表する古代史家の顧頡剛は自らの学問的自伝として綴った『ある歴史家の生い立ち ――古史辨自序――』(岩波文庫 1987年)で、「身を殺して人を救うのは志士の唯一の目的であり、政治を行うて世を救うのが学者唯一の責任であると思われてくる」と述懐していた。
どうやら文革に典型的に見られるように学問(現実社会への向き合い方)の違いが引き起こす政策的対立が激しい権力闘争と密接不可分に重なり合い、「恐怖を前提にした愚かな大衆の運動」を招き寄せ、ついには「暴民」を無限に産み出してしまう。この「恐怖のメカニズム」とでも呼んでもよさそうな現象を、意図するか否かは別にして、建国以来の共産党政権は繰り返してきたのではなかったか。
反右派闘争(1957年)から始まり大躍進(1958年)、社会主義教育運動(1963~66年)を経て文革に繋がっていく一連の政治運動は、やはり恐怖のメカニズムによって突き動かされたとしか考えられない。意図したか否かは別にして。
いずれにせよ現実政治において自らの正当性を主張する論拠にカント(康徳)の説く星雲説の哲学的意義を持ち出す辺りに、従来からの日本人による中国・中国人理解のレベルでは捉えきれないものを痛感するのだが。この問題は、いずれ機会を改めて詳細に論じてみたいものだ。
1974年10月分を締めるに当り、各書籍の奥付に記載されている範囲でそれぞれの出版部数を示しておく。
『《帝国主義是資本主義的最高段階》浅説』(上海人民出版社)=60万部
『大樑』(上海人民出版社)=30万部
『語音常識』(山西人民出版社)=3.03万部 《QED》