【知道中国 2586回】 二三・一○・仲三
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習252)
大人が大人なら、“小さな大人”として育てられていた政治的教育環境にあっては、子供だって負けてはいない。当然のように大人以上の政治的働きを強く求められるわけだ。その典型例が、「いままさにスクスクとした成長の姿を見せている少年たちに、このささやかな著作を思想教育のための副読本として熱い心を込めて進呈したい」と書き出されている『和少年朋友談談理想』(焦平 上海人民出版社)だろう。
どんな「理想」を「少年朋友」と語り合おうというのか。当時の「思想教育」と言う名の“政治的煽り”の一端をみておきたい。
――「共産主義の理想を打ち立てることは、プロレタリア階級の革命事業における後継者を育てるために必要なことである。だから共産主義の理想を打ち立てなければならない。それというのも、批林批孔闘争を断固として貫徹し、旧い伝統観念と徹底して袂を分かたなければならないからである」
「孔子の忠実無比の信徒である林彪は労働者・農民を徹底して軽視し、労働を蔑視し、知識青年が農山漁村に赴き、労働者・農民と手を結ぼうという崇高な道を『形を変えた労働改造処分だ』と憎悪を込めて攻撃し」、「大叛徒の劉少奇はノー天気にも『共産主義の理想とは豊かな生活を送り、腹いっぱい食べ、着飾り、楽しく遊ぶことだ』と口にし、『学問は役人として出世の道だ』などと吹きまくっていた」。であればこそ、「共産主義の理想を打ち立てねばならないし、こういった腐った輩たちが撒き散らした毒素とは徹底的に戦い抜かねばならないのだ」――
今から考えれば、なんとも大仰でウソ臭い物言いと表現するしかなさそうだが、これが文革が子供たちの将来に描こうとした“政治的理想郷”になるだろう。
そこで年端も行かない少年少女に「一、我われの理想。それは共産主義」「二、我らはプロレタリア革命事業の後継者」「三、大きくなったらなにを為すべきか」「四、永遠に錆びることのないネジとなろう」「五、共産主義の哲学は闘争の哲学だ」「六、艱難辛苦の光栄ある伝統を継承しよう」「七、学習し、新しい中国の新しい主人公になろう」と、手を変え品を変え、しかもモミ手で「共産主義の理想」を吹き込もうとするのであった。
その凡てを紹介したいところだが、取り急ぎ面白そうなところを拾っておくと、
■「革命の理想を打ち立てることは、わが身を捧げることの出発点であり、同時にわが身に代えてでも実現すべき志の最終目的でもある。君たちの誰もが将来、何を為すべきかを考えることはもちろんだが、より大切なことは真剣に考えることだ。では、なにを考えるべきなのか。分かりきったことだろう。どのような理想のために奮戦努力の一生を送るか、だよ」
■「大きくなったらどうするのか? いうまでもないことだが、僕たちの答は『凡てを党の指示に従います』でしかないだろう」
■「(偉大な革命事業を)完備した機械に喩える考えがあるが、そういった機械は中心となる部分があり、部品があり、数え切れないほどのネジがある。それら凡てが組み合わさり、相互に固く連係し、定められた働きをなしてこそ、機械は完全に機能するものである。チッポケなネジが1本欠けても、機械は動かないものなのだ」
■「そうだ。共産主義のため敢えて雄々しく闘争に赴こう。犠牲を恐れてはいけない。闘争を経てこそ天下はひっくり返せるし、闘争を通してこそ新しい世界を創造できる」
■「共産主義の理想」とはなにか。大人になったら共産党に絶対服従し、志願して共産党の独裁維持のためのネジになることなんだ。
――このような「理想」が、「少年朋友」の耳元で繰り返し囁かれたわけだ。《QED》