【知道中国 2584回】 二三・一○・初九
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習250)
1966年の開始以来、すでに文革は8年余が経過していた。いわば「毛沢東思想に拠る世直し」に国を挙げて取り組んでいるにも拘わらず、劉少奇と林彪の2人の後継候補を屠り去った以外、確たる“戦果”がみられないばかりか、社会の混乱と停滞は収束する気配すら感じられない。であればこそ民衆の多くは共産党に対する不信感を募らせ、人々は「中国の夢」を夢見るどころの騒ぎではなかったに違いない。
にもかかわらず、いや、それでもなお共産党は文革の旗を降ろすことなく、批林批孔闘争、儒法論争に関する書籍の出版を続ける。もはや民衆啓蒙、あるいは洗脳の意味は失せ、出版そのものが自己目的化していた、とも考えられそうだ。
この月、商鞅に関して2冊――『論商鞅』(人民出版社)、『商鞅的故事』(譚一寰 上海人民出版社)――が出版された。
前書は、74年6月1日発行の『紅旗』(1974年第六期)に掲載された四人組御用達の筆杆子(ペンのアジテーター)である梁効の執筆した「論商鞅」を巻頭に置き、これに『史記・商君列伝』と『商君書・更法』の訳註が併載されている。
梁効は商鞅を「我が国歴史における最も傑出した法家であり、彼が進めた変法運動は奴隷制から封建制への過渡期における極めて意味深い変革である」と位置づけ、「『天下大乱』の状況下で、社会は何処へ向かおうとしているのか。いったい人々は何処に向かうのか。商鞅こそ時代の要求に最も応えようとした人物である」と強調し、いまが新しい社会に向かう「天下大乱」の時期であると、「天下大乱」の意義を訴える。
どうやら共産党史観に立つなら「天下大乱」にはイイのとワルイのとの2種類があって、現在の「天下大乱」は新しい時代を産み出すために乗り越えなければならないイイ方の、歴史的意義のある「天下大乱」とでも言いたげである。
「我々の歴史遺産を学ぶに当たっては、マルクス主義の方法によって批判的に総括する。これが我々の学習のもう一つの任務だ」(『毛主席語録』)から説き起こされる『商鞅的故事』は、商鞅を古代奴隷制社会を根底から覆し、封建性を打ち立て、富強の秦を建国し、「後の始皇帝の中国統一の礎を築き」、「中国社会を奴隷所有者による貴族制社会に後戻りさせない大変革を成し遂げた」と大絶賛してみせる。
だが、このような“金太郎アメ歴史認識”と文革とが、いったい、どのような理論的脈絡で繋がるのか。現実的に、どのような政治的効能・効果が期待できるのか。全く不明だ。
『《学点歴史》叢書 我国歴史上労働人民的反孔闘争』(南開大学哲学系七一届工農兵学員編写 人民出版社)、『中国歴史故事 太平軍在河南』(王天奨 河南人民出版社)、『歴史知識読物 北洋軍閥』(謝本書 中華書局)――扱う時代の異なる3冊の歴史書も出版されているが、これまた“金太郎アメ歴史認識”に変わりはない。
――古来、孔子のバカたれに「小人」「下愚」と蔑まれ続けて来た労働人民は、どのような時代、どのような社会にあっても常に“搾取階級の大聖人”を激しく批判し続けてきた。いまやプロレタリア階級が政権を握り、労働人民が国家の主人公となり、さらにはマルクス・レーニン主義と毛沢東思想の科学的世界観を指導原理とし、労働人民による反孔子闘争の光栄ある歴史を継承し、我が国の広範な労働人民の持つ様々な限界を克服し、批林批孔闘争を徹底させ、この偉大なる革命における徹底した勝利を勝ち取る――
このような歴史認識を全面に掲げ、共産党独裁政権は人類究極の選択で、共産党の中核は歴史の必然の体現者であるとの大ボラをゴリ押しする。確か毛沢東は「卑賤な者は最も聡明であり! 高貴な者は最も愚鈍だ」と口にしていたはず。ならば自らを歴史の必然と位置づけて恬として恥じない「高貴な者」こそ「最も愚鈍」だと思うのだが。。《QED》