【知道中国 2578回】                      二三・十・仲九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習244)

 

1974年8月に入ると、四人組麾下の筆杆子(ペンの扇動部隊)は、宣伝の力点を中国史上に突出した2人の女帝――呂太后と武則天――の功績評価に移した。

1日、羅思鼎は『紅旗』(第八期)に「論秦漢之際的階級闘争」を発表し、「劉邦と呂太后は叛乱を敢然と制圧し、漢朝の中央集権制を守った」と主張。羅思鼎と並び称せられた筆杆子で知られた梁効は、20日に『北京大学報』(第四期)に「有作為的女政治家武則天」を寄稿し、「とどのつまり彼女は歴史の潮流に順応した傑出した人物であった」と讃える。

また「清華大学幼児園工人理論小組」が同じ『北京大学報』(第四期)に発表した「談談対武則天的幾点看法」と題する論文で、「力による専政を巧みに用いたことにより、武則天を代表とする革新派政治集団は半世紀に及んだ執政を成し遂げた」と主張する。

ここに見える3つの論文の狙いは明らか。共に中国歴代の正統政権の流れに従うなら女帝、つまり江青政権の出現が必然であることを強引に論証しようしたわけだ。

じつは1974年8月購入分は僅かに5冊。『《学点歷史叢書》 春秋戦国時期的儒法闘争』(李・黄編写 人民出版社)、『儒法闘争史文章選輯』(香港三聯書店)、『《歴史知識読物》李自成』(厳紹燙(燙火⇒玉)中華書局)、『魯迅反対尊孔復古言論選輯』(北京図書館編 文物出版社)、『上海糕点制法』(上海市糖業烟酒公司編 軽工業出版社)である。

他の月に較べ購入部数が少なかったのは出版点数が少なかったというより、この時期、台湾で語学研修する日本からの大学生の世話係を命ぜられ、比較的長期に亘って香港を留守にしていたからではなかったか。そもそも香港にいなかったわけだから、中国系書店に足を向ける機会がなかったとしても当然だろう。

この時、台北では古本屋を覗き回ったが、その店でも日本統治時代に読まれたであろう多種多様な古本に接し、驚いた記憶がある。当時、蔣介石は存命で、国民党絶対の時代であったにもかかわらず、である。日本語で書かれた古本には一定数の読者がいたからこそ、古書ビジネスが成り立っていたに違いない。

どうやら国民党独裁下の台湾でも、「上」に国民党独裁政治なる「政策」があれば、「下」には古本屋を通じての日本時代への懐旧という「対策」があったようにも思える。やはり「上に政策あれば下に対策あり」は、台湾でも行われていたらしい。もっとも台湾海峡で隔たっているとはいいながら、政治的にはともあれ、文化的ルーツは同じく漢族であればこそ、でもあろう。

同じ時期、ある古本屋の店頭で、1940年代初めに上海で出版された『大戯考』を目にした。1940年代以前に主に上海で発売された京劇レコードの歌詞を網羅したもので、以前から手に入れたいと思っていた。それだけに、大袈裟な表現ではあるが、心の高鳴りを覚えたものだ。安くはない。かといって買えない金額でもない。そこで老板(おやじ)の言い値で手を打つことにした。

当時、宿舎にしていた台北郊外・淡水の淡江文理学院の教員宿舎に戻り、改めて『大戯考』を手にして綺麗な厚紙で補強された表紙を開くと、巻頭頁の隅っこに名前と日付が記されていた。

たぶん最初の所有者の名前と購入日だろう。演目名や歌詞に間に多くの書き込みが見られたところからした、おそらく相当の戯迷(しばいくるい)が愛読していたに違いない。

そんな『大戯考』が、いつ、どのような理由で台湾海峡を渡ったのか。最後の所有者は、どのような心境で手放し、台北の古本屋に引き渡したのか。彼は外省人だったのか。それとも本省人なのか。古ぼけた『大戯考』を手にすると、様々な思いが湧いてくる。それほどまでに台湾海峡を挟んだ歴史の複雑さを思い起こさせてくれる1冊ではあった。《QED》