【知道中国 2576回】 二三・九・仲五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習242)
この月、香港の共産党系の香港朝陽出版社が『社会発展史浅説』『弁証唯物論浅説』(共に朝陽編集部編)を出版している。どちらも余りにもオーソドックスな唯物主義の教科書と言える内容であるばかりか、批林批孔の猛々しい論調に貫かれた大陸出版の書籍とは異なり、装丁といい表紙の色合いといい、“不思議な落ち着き”を感じさせる。なぜ、この両書が、あの時期に、香港で出版されたのか。これまた不思議だ。
はたして、共産党中央に対し香港左派が演じた“やってる感”が満載の忠誠心だったのか。少なくとも当時の香港で、この種の生硬な内容の書籍を自主的に購入して社会発展史や弁証法唯物論を学ぼうなどと言う奇特なまでに頭の固い若者は皆無に近かったと思う。
この月で残るは『無産階級文化大革命就是好 ――上海市群衆歌咏大会歌曲選』(上海市群衆歌咏大会籌備小組編)、『上海地理浅話』(尚思棣 蘇浚功 施文斌編)、『加強党的一元化領導』(中共上海市紡織工業局委員会写作組編写)の3冊。いずれも版元は上海人民出版社である。
革命が一種の祝祭であり、であればこそ、ことに大衆を巻き込む革命運動には歌や踊りは必須アイテムだろう。唱って踊って狂喜乱舞、これに血と暴力をコッテリと混ぜ合わせることこそ、古今東西を問わない革命の根本原理に違いない。
その辺りのカラクリを知るがゆえに、文芸をものの見事に全革命過程に組み込むことが出来たなら、「人民を団結させ、人民を教育し、敵に打撃を与え、敵を消滅させる有力な武器となり、心と生き方を同じくして敵との戦いに臨むよう人々を手助けする」と、毛沢東は断言したはずだ。
文革の全期間を通じ、上海などでは革命歌の歌唱大会が街角で、職場で、学校で、軍隊で大小様々な規模で開かれ、誰もが歌に踊りに酔い痴れたことだろうから、おそらくは「上海市群衆歌咏大会歌曲選」と銘打たれた『無産階級文化大革命就是好』に収められた“文革軍歌”の類が、上海の空気を隅々まで震わせたことだろう。
「毛主席率領我們反潮流」「毛主席発出動員令」「神州大地起風暴」「想念毛主席」「向林彪開火 向孔老二開火」「打倒林彪 打倒孔老二」「反帝戦歌」「緊握毛主席給我的槍」などの曲名を見るだけで、なにを煽ろうとしていたかが分かろうというもの。
それにしても、である。これら文革軍歌を、喉も張り裂けんばかりに唱ったであろう世代が現に生きていたとして60代後半から70代のはず。文革(政治)から対外開放(経済)へ、そしていま習近平一強体制の政治へと変転止まない社会の動きを、いったい、どのように捉えているのか。機会があったら教えてもらいたいものだが、存外にアッケラカンと受け止めてきたようにも思える。やはり「上に政策あれば、下に対策あり」となるのか。
『上海地理浅話』の冒頭に置かれた「編者的話」は、「この小冊子は上海市の自然環境の主要な特徴とその変遷、都市としての上海の歴史的発展、地盤沈下への対応振り、解放後、ことに文革後の社会主義建設の新しい姿を紹介している」と綴っている。だが、全体の論調には上海の軸に中国全体を牽引しようとする姿勢が見え隠れする。そこに北京に代わって上海を中国の中心に位置づけることを企図する上海系四人組の“壮大な国家改造計画”を読み取るのは、やはり相当の買い被りとだとは思うのだが。
批林批孔闘争や儒法論争関連の“金太郎アメ式出版物”が続く中で異彩を放っているのが、批林批孔の「ひ」の字も「法家」の「ほ」の字も書かれていない『加強党的一元化領導』である。曖昧な記憶だが、編集を担当した中共上海市紡織工業局委員会は上海の労働者が組織する民兵勢力の中核で、王洪文の支配下にあったはず。ならば『加強党的一元化領導』には王洪文を経由して四人組の考えが色濃く反映されている・・・のか。《QED》