【知道中国 2575回】 二三・九・仲三
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習241)
金太郎アメの喩えが悪かったら、批判と罵倒の屋上屋を重ねるだけの愚、とでも言っておこうか。とはいえ、他はともあれ、やはり『関于孔丘殺少正卯問題』と『批判曲阜“三孔”』の2冊には目を通しておく必要はあるはずだ。
先ず『関于孔丘殺少正卯問題』だが、孔子が魯で司寇と呼ばれる役人を務めていた春秋末年(紀元前498年)、少正卯なる人物を死刑に処した事案に対する詳細な学術研究のダイジェスト版と言ったところ。なお孔子が就いていた司寇は日本で言うなら警視総監に相当とは、かの魯迅の解説である。
著者は関連する史料・古典・研究書などを網羅的に収集し、詳細な考証作業を加え、どのように処刑されたのか(「六種説法」)、なぜ処刑されたのか(「七種看法」)、処分の根拠となった罪状の適否(「『五大罪状』的解釈」)を論じた後、次のような結論を導き出す。
――少正卯は魯の「革新派人士であり、法家の先駆者だった」から、没落を運命づけられた奴隷主貴族の再興を目指していた孔子に処刑された。春秋末期は腐れ果てた奴隷制を突き崩し新しい封建性を打ち立てようとした時代であり、そうした時代の担い手として登場してきたのが「蒸民」「小人」と呼ばれる新興勢力であった、少正卯は新興勢力の立場に立ったからこそ処刑された。歴史は少正卯が正しく、孔子が間違っていたことを伝えている。歴史発展の道筋を基準にするなら、「尊孔」は歴史を逆流させるか否かのカギだ――
そして「尊孔」の立場にあった林彪は歴史を逆流させ、中国を資本主義社会に押し戻そうとした「売国奴・叛徒」であると、言外に激烈に糾弾している。
それにしても又々同じような“繰り言”にはなるが、春秋末年に孔子が主導したとされる処刑案件が、2500年ほどの時を経てなお現実の権力闘争の敗者となった林彪断罪の状況証拠として堂々と通用しているばかりか、それを公にスンナリと認めさせようという陳腐極まりない歴史認識が皆目理解できない。
どうやら無理に理解しようとすること自体が間違っている。あるいは徒労であり非生産的作業のようにも思える。むしろそうではなく、彼らにとって歴史認識とは“その程度”に陳腐極まりなく、それは現に自分が置かれている政治的環境のなかで権力の動向に応じて千変万化する。いわば、その場限りのご都合主義と理解しておけばいいようにも思える。
『批判曲阜“三孔”』は、儒家にとっての大聖地である山東省曲阜で広大な領地を占めてきた孔子廟で行われた人民解放軍兵士や近在の農民による批林批孔闘争の模様を伝える写真と、歴代孔家が歴代封建勢力から保護され、どのように人民を苛酷に扱ってきたかを示す鉄証を示す。
『毛主席語録』を左手に、拳を固く握った右手を高々と挙げながら、「孔孟の道を鼓吹する林彪の罪状を徹底して暴き出せ!」と声を上げる兵士や農民の現場写真から伝わってくるのは、やはり虚しさでしかない。
だが動員された兵士や農民からすれば、動員と言う「上の政策」に応じて、「上の政策」が定めた敵である林彪やら孔子やらに向かって激しい怒りを演じてみせるのが「下の対策」と見なすべきではないか。
法家関連などでは、『法家研究 論法家』(上海人民出版社)、『読一点法家著作 一』(北京大学哲学系工農兵学員編 人民教育出版社)、『法家著作選読』(中華書局)、『歴史知識読物 商鞅変法』(施祖 中華書局)、『読《封建論》』(北京汽車製造廠工人理論組 中華書局)、『公孫龍子 訳註』(?朴訳註 上海人民出版社)。
こうみてくると、どうやら批林批孔関連書籍出版と言う「上の政策」に対し、制作現場が大量出版という「下の対策」で応じたようにも思えてくるのだが・・・不思議だ。《QED》