【知道中国 2574回】                      二三・九・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習240)

 

『武漢日記 封鎖下60日間の魂の記録』からもう少し引用しておきたい。

「私の印象によると、中国の大多数の官僚は反省をしない。まして引責辞任などするはずがない。

「実際、引責辞任は本来、常識である。自分の職責を果たさず、自分の組織に重大な損害を与えたら、良識ある者は自ら引責辞任するはずだ。贖罪の意識を持って、挽回を試みるだろう。だが実際のところ、中国ではそのような人、そのようなことを見かけない。私たちの多くは、無数の壮大な理念を知っているくせに、基本的な常識を欠いている。それらの理念は空虚で、つかみどころがない。

「くどくどと同じことを繰り返すばかりで、肝心の内容が理解できない。テーマが見つかったとしても、その半分以上は中身が空っぽである。一方、無数の実用的な小さな常識は、それら理念によって、言語の土壌の下に埋没させられてしまった。芽を出すことも難しい。だが、これらの常識は人生の必需品なのだ」

――このような方方の考えに従うなら中国社会は文革以来、いやそれ以前からも「必需品」である「常識」を欠いていた。「常識とは、最も深刻な道理と最も頻繁な実践の中から生まれる。常識とは、とりわけ深刻なもの」だとするなら、現在の中国社会は「最も深刻な道理と最も頻繁な実践」が欠如していると考えても、強ち間違いではないはずだ。

閑話休題。

1974年7月1日、中共中央は再度、「革命を掴み、生産を促すことに関する通知」を発出するが、積年の闘争が生産現場に与えた打撃は小さくなく、党もまた生産現場の弱体化がもたらす社会経済的影響を考えざるをえない立場に追い込まれていたということだろう。

周恩来の深刻な病状に加え、毛沢東もまた肉体的衰えは隠せなくなった。1日、専用列車で武漢に向かうが、嚥下困難が発症したらしい。以後、食事は身の回りの世話掛かりである張玉鳳の手に委ねられる。やや戯画化するなら、8億余の中国人の生殺与奪の権を握る毛沢東の命は、たおやかな女性の両の手に握られてしまった。独裁者の末路は哀れなものだ。

さすがに江青の“突出”に危惧を抱いたのか、17日、毛沢東は党中央政治局会議の席上、王洪文、姚文元、張春橋の3人に対し、「彼女は上海幇だな。いいかい、オマエらに注意しておくが、四人で小さなセクトを作るのはイカンぞ!彼女はオレを代表してはない。飽くまでも彼女は彼女を代表しているに過ぎないのだ」とクギを刺したとされる。

だが肉体的衰えは気力減退を誘引し、近くに伺候している者、ことに権力欲の突っ張った野心家からするなら、独裁者の泣き所を押さえたも同じだろう。毛沢東の忠告などヘノカッパ。右の耳から左の耳に聞き流したとしても何ら不思議ではない。

7月から8月にかけ、北京で法家著著作注釈出版会議が開催され、姚文元は呂太后・武則天を高く評価する方向を強く打ち出し、筆杆子集団の羅思鼎に呂太后美化の論陣を組織する方向性を語っている。

 7月発行の批林批孔関連は『工農兵批林批孔文選之四 批判林彪“復礼”的理論綱領“天才論”』(人民出版社)、『学習歴史経験 深入批林批孔 ――湖南湘潭等県学習《湖南農民運動考察報告》的体会』(人民出版社)、『林彪与孔老二』(《吉林大学学報》編写組 中華書局)、『孔孟之道名詞簡釈』(北京大学哲学系七二級工農兵学員 人民出版社)、『儒家思想批判論文選輯 (二)』香港三聯書店、『関于孔丘殺少正卯問題』(趙紀彬 人民出版社)、『風濤集 ――学習魯迅革命精神徹底批林批孔』(本社編 上海人民出版社)、『批判曲阜“三孔”』(山東省博物館 曲阜県文物管理委員会編 文物出版社)の8冊・・・総じて内容は金太郎アメ状態で、切っても切っても同じ。そろそろ悪罵のネタも尽きてきたらしい。《QED》