【知道中国 2573回】                      二三・九・初九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習239)

 

「不獲全勝不収兵(全てに勝を獲ずんば兵を収めず)」=「毛主席が方向を示された、二筋の異なる道はハッキリした。孔丘と林彪は復辟を企んだが、革命人民は断固として認めない。腐れ林彪に孔丘メ、ツラの皮を引っ剥がしてやる。あらゆる害人虫(どくむし)をキレイさっぱり根絶し、全てに勝を獲ずんば兵を収めないぞ」

かくして声を限りに少年軍歌を唱いながら、紅小兵は「小闖将(勇猛果敢な小さな将軍)」と煽られて、批林批孔闘争の前線に勇猛果敢に突撃していった。恐れも疑いも持たないだけに、彼らの攻撃は容赦なく、残忍至極に繰り返されたのであった。

残る1冊は毛沢東思想が導く「体育」の理想を覚え易い詩で表し、胸に毛沢東バッジ、紅いネッカチーフを首に巻いた健康優良児そのものの子供たちの運動する可愛らしい姿がイラストとなって配され、解説されている『体育花朶向陽開』(人民体育出版社)である。だが、イラストとは真逆で、詩は決して可愛らしくないどころか勇ましすぎる。

因みに「花朶」は子供を、「陽」は太陽を暗示している。つまり子供たちは毛沢東の太陽に向かって元気活発に花開き、“毛沢東のよい子”たれ、ということだ。

「党の教育方針は光芒を放つ」=「党の教育方針は光芒を放ち、毛主席を守る紅小兵の闘志は高まる。革命の大目標を胸に抱き、批林批孔の闖将たれ。懸命な学習で得た思想は素晴らく、身体鍛錬怠らず。基本路線を大本に、階級闘争は永遠に忘れない」と始まり、広場でのラジオ体操、徒競走、バトミントン、卓球、バスケット、飛び込み、浜辺での水泳、高跳び、山登り、綱引き、スケート、縄跳び、マリ突きなどが紹介されているが、やはり注目は「投弾」だろう。つまり手榴弾投げも子供の体育と見なされていたのだ。

「投弾」=「小さな小さな手榴弾だが、敵が見たら震え上がる。今日は手榴弾投げを訓練し、明日は敵に喰らわせてやるゾ。階級の仇、民族の恨み、劫火の炎は我が裡に。仇と恨みを力と化して、帝(国主義)・修(正主義)・反(動)を打ち砕け」

ところで習近平政権を支える李強首相以下党政府中枢を別名で「習家班(習一家)」と呼ぶそうだが、彼らは基本的に紅小兵世代だ。であるなら、日常業務を進めている間に、フッと少年血気の頃、声を限りに唱った“紅小兵軍歌”がフラッシュバックすることはいだろうか。「階級の仇、民族の恨み、劫火の炎は我が裡に。仇と恨みを力に化して、帝・修・反を打ち砕け」などと。

出版部数だが、記載のある分だけ記しておく。

『論秦始皇帝』(上海人民出版社)=30万部

『富饒的海』(天津人民出版社)=40万冊(3回出版の累計)

『体育花朶向陽開』(人民体育出版社)=18万部

 閑話休題。

 批林批孔闘争から少し離れ、最近の中国、ことに新型コロナウイルス問題に関して考えて見ようかと思い、中国で最初のコロナの爆発的感染が報告され、2020年1月から60日間完全封鎖された武漢に閉じ込められた作家の方方が綴った『武漢日記 封鎖下60日間の魂の記録』(河出書房新社 2020年)を読んでみた。そこで、気になった部分を書き留めておきたい。

 「今回の感染症は、明らかに多くの要因がある。敵はウイルスだけではない。私たち自身の中にも敵がおり、私たちは共犯者でもある。多くの人がいま初めて、はっきり目を覚ました。つまり『我が国はすごいぞ』と空しく叫んでも意味のないことを知った。また毎日政治学習で意味のない話をするだけでは、具体的なことは何一つできない幹部は使い物にならない(私たちは以前彼らのことを「口先労働者」と呼んでいた)ことも知った」《QED》