【知道中国 2571回】 二三・八・念九
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習237)
19日=江青は筆杆子の一群に加え、世界的卓球選手の荘則棟、贔屓の京劇役者の浩亮などを引き連れ天津に乗り込み、儒法闘争史報告会を主催。夜7時から翌朝まで参加者1000人余。この席で彼女は「なにを『面首』と呼ぶのか。同志諸君はご存知か」と問い掛ける。天津は周恩来の学びの地。若い頃は女形に扮して芝居をしたと伝わる。因みに「面首」とは男妾を指し、周恩来に対する当て擦りに違いない。おそらく批林批孔闘争、儒法闘争が狙い通りに進んでいないことに対する焦りが、彼女に「面首」を口走らせたのだろう。
27日=『天津日報』掲載の「歴史上法家人物和進歩思想家簡介」で、呂太后を「封建経済文化の発展に一定の貢献」と紹介し、唐の高宗の皇后となった後、唐に代わって武周朝を建てた中国史上唯一の女帝で知られる武則天を「無能な高宗に代わって武則天は朝政(せいじ)に参画し、政権を掌握した。その功績は高宗の十倍、息子の中宗の万倍だ」と記す。傑出した女帝を讃え、江青政権誕生への“地均し”を狙ったわけだ。。浅智慧が過ぎる。
この月の購入は意外と少なく、『無産階級文化大革命的偉大成果』(香港三聯書店)、『論秦始皇帝』(柳宗元等著 上海人民出版社)、『富饒的海洋』(海青編著 天津人民出版社)、『我們都是小闖将 ――批林批孔児童歌専輯』(人民文学出版社)、『体育花朶向陽開』(人民体育出版社)の5冊のみ。
『無産階級文化大革命的偉大成果』は『人民日報』や新華社の記者、上海や天津の労働者の評論を収めているが、「プロレタリア階級の世界観を堅持せよ」「社会主義の新生事物は闘争の中で成長している」「プロレタリア文化大革命のいいところは言い尽くせない」などの論題から分かるように、改めて読み返してみると痛々しくも苦笑を禁じ得ない。
『論秦始皇帝』は通常の横組ではなく縦組。「秦の始皇帝は我が国古代新興地主階級の代表的人物であり、法家の学説を尊崇し、孔孟の道に反対した。常に革新的であったのは、崩壊した奴隷制度の復辟の防止を目指していたからだ。新しく打ち建てた中央集権の封建地主制度を維持し強固にしたことで、中国統一という空前の進歩的働きを促進したのである。だが叛徒で売国奴の林彪は、歴代の滅び去った反動派と同じように尊孔反法であり、屡々始皇帝を攻撃し、孔孟の道を党を簒奪し、権力を奪取し、資本主義を復辟するための反動思想の武器にした」と綴った後、柳宗元の「封建論」、王夫子の「秦始皇」、章炳麟の「秦政記」と「秦献記」の4つの原文とを示し、基本的には「広州の中山大学中文系同志」による注釈と現代語訳が収めてある。
30万部出版と記録されているが、『論秦始皇帝』を読んで、いったい何人が批林批孔闘争理解に役立てたられたか。「叛徒で売国奴の林彪」との評価をまともに受け入れたのか。どだい、こんな小難しい本を読もうなどと思う読者が何人いたのか。あれやこれか考えれば、この小難し政治論集が庶民レベルでの批林批孔闘争に役立ったはずもなかっただろうに。
誤解を恐れずにいうなら、あの時代、この本で得た知識なり理論を実際の闘争に役立てることができるほどの知識を持ち合わせた庶民がいただろうか。おそらく限りなくゼロに近かっただろう。出版の費用対効果を考えたなら、多くは期待できなかったはず。これを言い換えれば、出版が目的であって、初っ端から読者獲得を目指してはいなかったのでは。
だが権力闘争が思想闘争を装い全土を巻き込んでしまうわけだから、国民の1人1人も否応なく“闘争している風”を装わざるをえない。これを「上に政策あれば下に対策あり」との中国庶民の“生存術”に照らすなら、『論秦始皇帝』の出版という「上の政策」に対し、庶民の側の対策は学習した風を装うこと。こう考えると続々と出版される批林批孔・儒法闘争関連の書籍を国民が手にする、理解するに拘わらず、ともかくも出版することが自己目的化していた。ならば文革とは紙とインクの壮大な浪費だったようにも思える。《QED》