【知道中国 2553回】 二三・七・念二
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習219)
1974年2月に入り、批林批孔闘争はエスカレートするばかり。
1日、理論雑誌『紅旗』が「広泛深入開展批林批孔的闘争(批林批孔の闘争を広く深く展開せよ)」と題する論文を掲げ、「我が党と林彪の間で戦われている反孔か尊孔かの戦いは、いまだ結果をみていない」と、闘争の激化を煽る。これを受け、翌日には『人民日報』が「把批林批孔的闘争進行徹底(批林批孔闘争を徹底せよ)」と題する社論(社説)を掲げ、「各々の指導部は闘争の最前列に立ち、批林批孔闘争を最大級の大事として議論し、これ以上ない大事として把握せよ」と訴えた。
たしかに『紅旗』と『人民日報』の主張は過激ではある。だが敵とされる林彪はモンゴルの草原で焼死体となって発見されているし、林彪一派は牢獄に閉じ込めてしまったわけだから、こんなにもヒステリックに喚き立てる必要はないだろう。となると林彪攻撃の余りの激しさには、やはりウラがあると勘繰らざるを得ない。あるいは批林批孔闘争が国民的に浸透せず、当初の目論見を大きく外れ、カラ回りしはじめたことに対する当時の党中枢(四人組)の焦りが背景にあるようにも思えてくる。
闘争を声高に叫び、全国規模で叱咤・督戦しようとも、笛吹けど踊らず。1966年夏の文革開始から8年ほどが過ぎたにも拘わらず、劉少奇と林彪を“血祭り”に挙げただけで、他にはなんら積極的で生産的な成果はみられない。社会は混乱し、国民生活は荒廃したままで、秩序回復は覚束なく、生産活動の停滞が解消に向かう気配も実感できない。であればこそ、「モウ、イイカゲンにしてよ」――おそらく、これが当時の大多数の国民の偽らざる思いだったに違いない。いわば一種の厭戦気分が社会全体に漂い始めたのではないか。
であれば、なにがなんだかワケが分からず、バカバカしい限りの批林批孔闘争に血道を上げるような工農兵(プロレタリア)がいようはずもない。どう考えても“人民”はさほどまでに従順で愚かではないだろう。やや大袈裟に表現すれば、草民の体内には「上に政策あれば下に対策あり」といったDNAが太古以来、脈々と受け継がれてきた。事実、当時、後に鄧小平が導いた対外開放政策によって生まれた郷鎮企業の先駆けともいえる“民間企業”が動き出していたとも報告されている。
闘争の実効が全国規模でみられない以上、四人組にしてみれば闘争のレベルを引き上げるしかない。かくて批林批孔闘争はブレーキの壊れた暴走ダンプのように暴走し始める。
1974年2月出版は、『工農兵批林批判孔文選之一 林彪是地地道道的孔老二的信徒』(人民出版社)、『工農知識青年自学読物 孔子是反革命復辟的祖師爺 ――?林彪反動思想的一条黒根』(北京大学哲学系七○届工農兵学員編写 人民教育出版社)、『要敢于反潮流』(人民出版社)、『剥開“孔聖人”的画皮』(本社編絵 人民美術出版社)の4冊。
前3冊は労働者、農民、兵士、農村で働く都市知識青年らが綴った“檄文”を集めたもの。残る1冊の『剥開“孔聖人”的画皮(“聖人・孔子”のツラの皮を引っ剥がせ)』は10cm×12cmで80頁ほどの連環画で、孔子の反動性を暴き、「林彪批判の高まりの中、批林批孔闘争を徹底して進めよう!」と、“小さな大人”である児童少年世代に呼び掛けている。
もはや内容を取り上げ、その主張を吟味し批判しても徒労でしかない。無意味だ。そこで視点を換えて、出版部数に注目してみた。
『工農兵批林批判孔文選之一 林彪是地地道道的孔老二的信徒』に記載はないが、『工農知識青年自学読物 孔子是反革命復辟的祖師爺 ――?林彪反動思想的一条黒根』と『剥開“孔聖人”的画皮』は共に100万部で、『要敢于反潮流』は80万部である。驚異的な出版部数は闘争の激しさではなく、逆に四人組の焦燥感の現われではなかろうか。
焦りが過激化を導き、過激化が、さらなる過激化への起爆剤となるわけだ。《QED》