【知道中国 2554回】                      二三・七・念四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習220)

 

 当時、批林批孔闘争の“真の標的”であったはずの周恩来は重篤な病を抱えながらも休むことなく働いていた。ある記録に拠れば1974年2月9日には20時間、翌10日には起床後から12日午前3時45分まで働いたというから、これはもう“異次元”の異常だ。不眠不休どころの騒ぎではない。ワーカーホリックのレベルを遙かに超え超人的、いや異様なまでの執念と表現するしかない。

 これほどの仕事を処理するということは、やはり周恩来の事務処理能力が群を抜いていたからか。他が徹底してダメだったからか。はたまた仕事漬けにして過労死させようとしたからか。かりに過労死狙いとするなら、周恩来の存在をジャマに思っていたはずの四人組による婉曲な合法的殺人だろう。もちろん毛沢東は見て見ぬフリをしていた。あるいは四人組に暗黙の了解を与えていたようにも思える。

忠実で超有能な執事として長期に亘って毛沢東に使えてきた周恩来であればこそ、毛沢東の自分に対する見方は十二分に心得ているはず。それを知って、なおも懸命に働く周恩来の真意が分からないが、四人組の横暴を事実上黙認していた毛沢東の心の裡はなお計り難い。まったく底意地の悪い、厄介千万な方々だ。

さて1974年3月だが、江青、張春橋、姚文元、王洪文のそれぞれが批林批孔闘争に関し、関係部署にハッパを掛けている。流石の毛沢東も江青の跳梁跋扈ぶりに嫌気が差し始めたのか、3月20日には江青に「会わないのがいいようだ。会ったところで、なにか益があるかい」といった趣旨のメモを送った、とか。

批林批孔闘争関連では、理論雑誌『紅旗』に掲載された20数編の関連論文を収めた『批林批孔雑文 1』(上海人民出版社)、孔子の一生を茶化し罵倒した『孔老二』(上海人民出版社)、解放軍下級兵士が執筆したとされる林彪に対する悪罵の数々で構成された『解放軍某部防化連批林批孔文選』(人民出版社)など。なお『批林批孔雑文 1』は20万部、『孔老二』は60万部が出版されている。

ここで興味深いのが香港三聯書店から『批“克己復礼”文章選輯』、『中国歴代反孔和尊孔的闘争』、『林彪与孔孟之道』の3冊が出版されていることだろう。共に、北京大学や清華大学などを中心とする研究者――取りも直さず“四人組御用達”の筆杆子――が『人民日報』や『紅旗』向けに執筆した本格論文だが、なぜ、文革なんぞに関心があるはずのない香港で出版されたのか。これらの著作によって香港でも批林批孔闘争を巻き起こせるわけはないことを、この3冊の出版にかかわった誰もが十二分に弁えているだろうに。

あれこれ考えるに、批林批孔闘争は生産性のない政治闘争のようにも思えてくる。だが、ここまで来てしまうと四人組と言うより文革そのものが思想的な袋小路にブチ当たってしまったのではなかろうか。いわば思想的逆噴射だ。だが止める力が働かない以上、慣性の法則のままに、批林批孔闘争は続けざるをえなかった。これが偽らざる実情ではなかったか。

「歴史知識読物」叢書のうちの1冊として、明末に窮乏農民や食いっぱぐれを糾合し北京に攻め上り北京を押さえ明朝を滅亡させた李自成(1606~45年)を取り扱った『李自成起義』(中華書局)が出版されている。

とどのつまり「李自成は不撓不屈、断固として戦い抜いた農民革命の指導者であり、その一生は光栄ある闘争の中で断固として革命を貫いた。中国人民は永遠にこの傑出した革命の先駆者を記念し、彼が成し遂げた事績を永遠に伝え、その名を永遠に歴史に書き留めなければならない」と、予想通りの結論で終わっている。だが考えるに、なんでもかんでも革命に結びつける歴史認識って、分かり易いだけに、やはり胡散臭い。臭すぎる。《QED》