【知道中国 2562回】                      二三・八・初九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習228)

1974年4月には、アヘン戦争からはじまり、小刀会、太平天国軍、1859年以降の一連のロシア帝国との戦、甲午海戦(日清戦争海戦)、義和団を一律に「中国人民の反帝闘争」と捉える歴史物語である『中国人民反帝闘争的故事』(本社編 上海人民出版社)も出版されている。

どの戦争も中国側にはなんらの落ち度もなく、すべてが帝国主義列強による中国侵略のための軍事侵攻であり、立ち上がった人民による英雄的な戦いによって帝国主義の野望を打ち砕いたという“予定調和”の形で結ばれている。先ずはメダタシメデタシだ。

「少年歴史故事叢書」の一冊と銘打たれた『中国人民反帝闘争的故事』の冒頭には、「中国の今日を知ろうとするなら、やはり中国の昨日と一昨日を知らなければならない」との毛沢東の教えが掲げられているが、はたして単純極まりない“人民史観”で複雑に入り組んだ歴史の因果関係を解き明かすことは不可能ではなかろうか。

ここで考えるざるを得ないのが、このような粗雑で単純明快でアンチョコ至極な歴史物語で育った世代が、李強首相を代表とする習近平側近グループだという点である。彼らの脳髄の襞に、紅小兵時代に学んだトンデモ歴史認識が依然として痕跡を留めていたと考えれば、習近平麾下の彼らが示す欧米や日本に対する外交姿勢の背景に見え隠れする頑ななまでの復仇意識が分からないわけでもない。

それにしても厄介な話だ。とはいえ厄介な話で終わらないだけに、愈々以て厄介だ。

『1973 上海小評論選』(上海人民出版社編輯 上海人民出版社)は、上海の多くの職域で毛沢東思想を活学活用する名もなき人々が綴った文章のうち、『紅旗』『文匯報』『解放軍報』などの掲載された54編が収めてある。全部を紹介するまでもないだろうが、普陀区清潔管理站に務める尹学堯が綴った「不怕大糞臭、就怕思想?!(大便の臭さを恐れず、思想の汚れを恐れる!)」は是非とも紹介しておきたい。それというのも、文革当時の都市生活の一端を覗き見ることができるからである。

じつは上海旧市街では――もちろん上海だけではなく、全国の都市部でも旧市街部では――家々には基本的に便所がない。一般的には家ごとに備えられた「馬桶」と呼ばれる木製で蓋付きの桶を使って大小便を処理する。朝方、各家の戸口に置かれた馬桶を回収し大八車に載せ、定められた水場(小川やクリーク)に流し、桶を洗って家々の戸口に返しておく。清潔管理站とは、この仕事を担っている部署に当たる。

以下、「不怕大糞臭、就怕思想?!」を要約すると、

――我が清潔管理站で働く青年労働者が革命のために糞尿運搬大八車で馬桶を回収している話が新聞に掲載されると、多くの職場・職域に属する同志が激励と支持を表明してくれた。なかには糞尿運びを体験し、その仕事が革命人民のために欠くことのできない革命的事業であることを身を以て体得した同志も少なくなかった。

旧社会では社会に「貴賎の差」があり、馬桶運びは社会の最底辺に属すると蔑まれていた。だが革命で社会は激変し、かつて蔑まれていた人民は社会の主人へと「翻身(生まれ変わ)」った。職業や身分に貴賎の違いはない。どのような仕事であっても、それが人民にとって有益なら光栄この上なく、「為人民服務」を実践していることになる。

我らが務める清潔サービス工作――馬桶を回収し洗い清め、ゴミを集め、街路を清潔に保ち、公衆便所を管理する――に従事する労働者がいなかったら、はたして上海のような人口数百万の大都市において都市機能は立ち行かなくなることは必至だ。

毛沢東思想の世界観に立ち、頭の中から薄汚いブルジョワ思想を一掃せよ!――

文革当時も、糞尿運搬大八車は上海市民の下々の世話をしていた。革命的に!《QED》