【知道中国 2563回】                      二三・八・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習229)

次に上海郊外の任屯村の疫病克服までの歴史を綴った『紅雨洒遍任屯村』(《紅雨洒遍任屯村》編写組 上海人民出版社)を取り上げたい。

当時、上海市青浦県蓬盛人民公社に所属する自然村であった任屯村は、解放前には「腹が膨れる病にて、ヒトの精気を吸い尽くす。任屯村には禍根が根付き、生者は続かず死者の山。任屯村には嫁など行かぬ」と唱われるほどだった。

1930年から49年の間に人口は960人から461人に激減し、家族全滅が121戸で、1人だけ生き残ったのが28戸だった。このような惨状を招いた直接的な原因は住血吸虫だが、背景には劣悪な衛生環境と苛酷な労働にあった。もちろん元凶は、なにがなんでも地主でなければならないわけだ。

廃村一歩手前の任屯村ではあったが、新中国成立後、毛沢東思想という「紅雨(めぐみのあめ)」が隅々にまで降り注ぎ、任屯村を躍進する実り豊かな村に「翻身(うまれかわらせ)」た。その経緯を、『紅雨洒遍任屯村』は“紅い筆致”で感動的に描き出す。

日本では住血吸虫は「地方病」と呼ばれ、我が故郷の山梨県西部と岡山県の一部で昭和30年代まで見られた。日本社会が落ち着き、経済的に上昇気流に乗り始めた頃、我が故郷で地方病の恐怖は消えていた。環境整備と衛生観念の発達が、病原の宿主である宮入貝を根絶させたのである。そう言われれば、小学生から中学生へと進む頃、いつしか周辺の小川から宮入貝は消え、「地方病」も話題にならなくなっていた。

だから、任屯村に政治的滋味溢れる「紅雨」が降り注いだと騒ぎ立てるのは文革式夢物語と言うべきだろう。だが、やはり、何が何でも「紅雨」と言う慈雨にしたいわけだ。

なお『感染症の中国史』(飯島涉 中公新書 2009年)には、住血吸虫など中国の感染症対策に生真面目に尽くした日本人医師・研究者の姿が描かれている。

1974年4月の最後に残った1冊は、社会主義社会における企業管理について綴った『談談社会主義企業管理』(宮効聞等編写 上海人民出版社)である。

この本では劉少奇・鄧小平による給与による労働意欲刺激策を全面否定し、「ボーナスや賞罰で労働者の働く意欲を刺激する方法は余りにも簡便に過ぎるし、社会主義の企業と資本主義の企業の根本的な違いを忘れている。革命を経て労働者は企業の主人公になった。政治工作と比較すれば金銭的刺激は簡単だが、これでは真の問題解決にはならないし、資本主義制度は永遠に消滅しない」と力説している。

かくて社会主義社会での企業管理は、「マルクス主義政治経済学の原理を学習・把握し、日常業務の中で党の基本路線を堅持・貫徹し、理論と実践を結合させよ」と結論づける。

だが共産党独裁政権下での企業管理に関する一切が「党の基本路線」に収斂してしまう点にこそ、根源的問題が潜んでいる。習近平一強体制下で強化される「党の基本路線」が、いよいよ企業経営の論理を“圧殺”している状況を目にすれば、そのことは明らかだろう。 

そこで考えるが、はたして毛沢東や文革は背後霊となって習近平ら紅衛兵世代、李強ら紅小兵世代に取り憑いたまま現在に到っている。いわば現習近平指導部は永遠の紅衛兵であり、いくつになろうが紅小兵のまま・・・ならば空恐ろしくも滑稽ではある。

なお出版部数は以下。但し、出版部数が記されていないものは除いた。

『欧州哲学史上的先験論和人性論批判(論文集)』(人民出版社)=15万部

『中国人民反帝闘争故事』(上海人民出版社)=50万部

『上海小評論選』(上海人民出版社)=7万部

『紅雨洒遍任屯村』(上海人民出版社)=20万部

『談談社会主義企業管理』(上海人民出版社)=15万部         《QED》