【知道中国 2564回】 二三・八・仲四
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習230)
1974年5月に入ると、周恩来の仕事振りは常軌を逸してきた。まるでなにかに取り憑かれでもしたようであり、死に急いででもいるかのようだ。
6日に連続18時間の仕事を終え床に就くが、40分後には叩き起こされ執務室に急行する。一仕事終え3時間ほど休むが、8日の朝4時半まで働き詰め。これだけ酷使されれば当然だろうが、19、23、25日には酸欠状態に襲われている。30日に毛沢東は訪中したイギリスのエドワード・ヒース前首相(保守党:1970年6月~74年3月)と会談しているが、周恩来は鄧小平、王洪文、喬冠華らと共に陪席した。この時、周恩来は毛沢東と握手を交わす。2人が手を握りあった最後とされるが、互いに相手の手の冷たさを痛感したことだろう。
因みにヒースは訪中直前の総選挙に敗北し首相の座を失ったが、その後も中国政府首脳とは密接な個人的関係を築いていたとされ、中国側はイギリス政府より彼の見解に信を置いていたフシが見られる。74年に野党党首として香港を訪れた彼は97年に香港を返還することを明言している。ここからも、当時の彼と中国政府首脳の関係からして、両国間で香港返還に関する根回しが基本的に進んでいたとも考えられる考えても。
本題に戻る。
批林批孔闘争が継続するなかで5月17日の『北京日報』に掲載された柏青の「従〈郷党〉篇看孔老二」と題された評論は、やはり注目しておきたい。すでに指摘しておいたと思うが、柏青は江青直属の筆杆子集団の一員である。
――ヤツは「正人君子」の名声を騙し取り、人々の前ではそれなりの振る舞いを見せる。だが、ひとたび君主からお呼びが掛かったら、君主差し回しの車を待ちきれず、ともかくも走りだす。君主の面前では縮こまり、小心翼々と振る舞い、恭順の意を示す。なんとも醜い限りの姿であり、吐き気を催すばかりだ――
こうまで辛辣に書くからには、やはり批林批孔闘争の真の標的は周恩来としか考えられないのだが。
「中国の赫魯曉夫(フルシチョフ)」が劉少奇で、「孔子の学徒」が林彪で、かくて「現代の孔子」が周恩来――これが「借古諷今=古に託けて今を諷(う)つ」という手法だろうが、北京における権力闘争はなんとも面妖な様相を見せるモノだ。
この月も人民出版社は「批林批孔文選」シリーズの2冊『大慶工人批林批孔文選』、『大寨昔陽貧下中農批林批孔文選』を、上海人民出版社は同じような体裁・内容の『批林批孔雑文 2』を出版した。
内容を詮索しても、もはや屋上屋を重ねるに過ぎないと思うので、敢えて論じないこととするが、1点だけ疑問を。はたして大慶油田の石油採掘現場で働く労働者、あるいは大寨人民公社で働く元「貧農下層中農」に林彪批判はともあれ、孔子を批判するだけの学識があったとは、とても思えない。これは別に彼らを軽んじているわけではなく、旧社会で奴隷同然の生活を強いられていたとされる彼らに、儒家思想を学ぶ機会があろうはずもないだろう。どう考えても、ウソ臭さは拭い去れない。
次いで「哲学社会科学叢書 2」で「工農知識青年自学読物」の10文字が冠された『狠批“克己復礼”』(北京人民印刷廠工人理論組 人民教育出版社)を取り上げてみたい。
冒頭に置かれた「編者的話」に、林彪批判運動のなかで理論的に鍛えられた「若者と老年の労働者が手を携え大量の批判文を書き出した。我が工場の理論隊伍はまさに健やかに成長を続けている」「旧社会における労働者の苦難の歴史から林彪の反動綱領を徹底的に告発する」とある。そこで、この本に収められた21本の論文の代表作を取り上げ、「健やかに成長を続けている」と自賛する「我が工場の理論隊伍」のリクツを考えてみたい。《QED》