【知道中国 2565回】                      二三・八・仲六

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習231)

論文の表題をみると「『正名』とは歴史の歯車を逆転させること」「林彪の『挙逸民』を断固として許すな」「林彪の『復礼』を断固として許すな」「『天命』を徹底批判し、革命を堅持せよ」「林彪の『仁政』の化けの皮を引き剥がす」など、正名、挙逸民、復礼、天命、仁政などの儒学理論の根本命題をキーワードに、林彪の悪行を暴きたてている。

どれも興味深いものの、やはり最高ケッサクとして推したいのが「青年労働者、理論補導員 李立民」が書いた「封建ファシストの『天馬』」だろう。

 ――「林彪反党集団は極端に狂妄な野心家、陰謀家の巣窟である。早くも1962年、林彪は『天馬行空、独往独来』と自ら揮毫し、自分の枕元の壁に掛け座右の銘とし、日々口にして忘れないようにしていた。〔中略〕これこそヤツ等が党権力を簒奪しようという凶暴な野心を曝け出したものだ」と書き出された論文は、次いで「林彪が自らを『天馬』に喩えるに到った経緯を、我われ労働人民は徹底して知る必要がある」とし、林彪が自らを「天馬」に喩え、働く人民を如何に侮蔑し、嫌悪していたかを激しく糾弾する。

 「林彪の遠い師である孔子のバカタレ」は自分を「天生の徳」を持つ「聖人」だと鼓吹し、その弟子の孟子は自分を「天下を平らかに治めることのできる『英雄』」だと自惚れた。こういった類の唯心主義のバカバカしい屁理屈が「歴代統治階級に奉られ至宝とされ、労働人民を騙し反動的な統治を維持するための精神的な武器となった」のである。

封建帝王は例外なく自らが「真龍天子」を演じてみせ、「独夫民賊(稀代の悪党)の?介石」は自分を遠い将来の先の先まで見通すことのできる「偉人」だとほざいていた。

林彪は「天馬」と記すことで、自分こそが「真龍天子」だと思い込んだ。「これこそ、林彪が歴史上の反動派と同じ穴の狢であり、我われ労働人民が死んでも赦せない敵であることを明らかにしているのだ」と告発し、激しく悪罵を浴びせ掛ける。

 「天馬は龍の仲間で、雲に乗って天空を飛び回ることができるといわれている」。「林彪は自分を『天馬』とし、『至貴』『超人』と思い込み、自ら『頭の形が素晴らしく、殊に打てば響くように優れている』と吹聴し、時代の命運を握り『未来の歴史を左右する』」としているが、これは19世紀のドイツ反動思想家ニーチェの説く「超人」と同じだ。

じつはニーチェの「超人哲学」はビスマルクの弱肉強食政治に正当性を与え、独占資本階級の立場を補強し、「殺人魔王ヒットラー」を生み出し、ソ連修正主義による対外的拡張と国内的人民弾圧を導いた。

「天馬」であればこそ林彪は、党の権力を奪い取り、プロレタリア独裁をひっくり返し、林家父子による封建ファシスト独裁政権を打ち立て、ヒットラーや?介石になり代わって稀代の悪党となり、「ソ連社会帝国主義の『核の傘』に守られた皇帝」を目指した。

 「誰であれ党に反対し、毛主席に反対すれば、当然のように人民からツバを吐きかけられる。林彪は人民に追われコソコソと逃げ出し、モンゴルで墜落死し、犬のクソになってしまった。かくてプロレタリア階級の天下は爛漫の春のように輝き、長江の水は滔々と流れている」――

 全106頁に収められた文章は小気味よい文体で綴られ、まさに「悪罵文学」とでも呼ぶに相応しい。皮肉を込めて表現するなら、文革が生み出した「悪罵文学」の傑作の1つと呼んでおきたいのだが、やはり正直に言えば屁理屈の集まりであり、真っ当な説得力を持つとは到底思えない。

 『柳下跖痛罵孔老二』(唐暁文 人民出版社)は、『荘子』に「盗跖」と記されて以来、二千数百年に亘って「大盗」と呼ばれてきた柳下跖だが、じつは新しい時代を切り拓こうと反孔子の立場を貫いた「奴隷起義の優れた指導者」であった、と説き起こす。《QED》