【知道中国 2566回】                      二三・八・仲八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習232)

孔子の友人の柳下季の弟で「盗跖」で呼ばれた柳下跖は9千人ほどを統べて「天下を横行し、諸侯を侵暴し、室を穴(こわ)し戸を枢(やぶ)り、人の牛馬を駆(かす)め、人の婦女を取(うば)い、得て忘親を貪り、父母兄弟を顧みず、先祖を祀らず。過ぎし所の邑(くに)、大国なれば城を守り、小国なれば入りて保つ。万人、之に苦しむ」、と『荘子(盗跖)』に記されている。

だが、この部分は『柳下跖痛罵孔老二』に収められた現代語訳では、「9千人の手下や武装した奴隷を指導し、天下を横行し、各国の諸侯を襲撃し、奴隷主の屋敷を攻撃し打ち破った。屋敷の防御を突破し門を打ち開き、彼らの所有物であった牛馬と使用人を解放した。戦いの果実を確実にするため、宗族観念を打ち消し、父母兄弟(といった血縁)を考慮せず、(敢えて)祖先を祭ることはしなかった。彼らの軍勢が進軍するや、大国では貴族が城壁の内側に身を縮め、小国では貴族は土塁の内側に身を隠した。大小の奴隷主は口を開いては天を恨み、我が身を嘆いた」となっている。

原典(『荘子(盗跖)』)をどのように読み破れば、このような現代語訳が生まれるのか。クビを何十回傾けても莫明其妙(チンプンカンプン)だ。

かくて孔子が乗り出して柳下跖に儒家の道を説き改心を迫るが、「アンタの説く『孝悌の道』なんて時代の彼方に消え去る没落階級に奉仕する考えでしかなく、しょせんは世を欺き、人々を惑わすインチキだ」と面罵する。グーの根も出ないほどに論破された孔子は這々の体で逃げ去るしかなかった。

 じつは歴代の叛乱を「起義」と呼び旧来の歴史評価を顛倒させる共産党からするなら、歴代王朝によって犯罪者・反逆者・盗賊などと強く否定され人物・勢力こそ新しい時代の創造を目指した英雄であった。極論するなら悪党が正義の士となり、王朝を守ろうと奮闘する正義の士は稀代の悪党と見なされるわけだ。

 林彪の“悪行”を批判するのに孔子を、その孔子を批判するに2500年も長期に亘って「大盗」とされ「盗跖」と呼ばれ続けてきた柳下跖の“名誉回復”を、それも無理スジで押し通そうとする。はたして柳下跖まで持ち出したからと言って、林彪批判の補強につながるだろうか。まして周恩来追撃をや、である。

 こう見てくると、批林批孔闘争は共産党が持つ歴史認識の杜撰さを逆に白日の下に曝してしまったように思えて仕方がない。敢えて言うなら古代から書き継がれてきた歴史を、その時々の権力の都合で再解釈し、強引に“絶対的に正しい歴史”として持ち出す。無理に無理を重ねた再解釈だけに、当然のように歴史の記述に綻びが生ずる。だが、その綻びは政治の力によって強引にねじ伏せてしまう。

 批林批孔闘争で喩えるなら、会場で毛沢東が「勝利の大会」と何度も何度も絶叫した1969年の第9回共産党全国大会で「毛主席の親密なる戦友」と呼ばれ、毛沢東の後継者と党規約にまで書き込まれた林彪だったが、71年9月にモンゴルの草原にブザマな焼死体となって晒された後は、一転して「叛徒」「売国賊」と口汚く罵られる始末だ。

「聖人」「至聖先師」「万世師表」とまで崇め奉られてきた孔子も、1万人に満たない奴隷たちと不平不満分子を駆り集めた柳下跖から「オマエの説くところは全て唾棄すべきカスだ。世を謀る詐話師め、トットと失せろ!」と罵倒され、反論もできぬままに這々の体で逃げ出したと、その実態が“暴露・告発”されてしまう。

「毛主席の親密なる戦友」が「叛徒」「売国賊」と断罪されるに至った根本理由と、二千数百年もの間、盗人の頭領と呼ばれてきた人物が「聖人」「至聖先師」「万世師表」を面罵する正当性との間に深い関連があると見なすなら、それこそ荒唐無稽の極みだろう。《QED》