【知道中国 2567回】 二三・八・念一
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習233)
こうなると盗賊と義賊はコインの裏表。じつは「造反有理」「官逼民反」で表現される共産党式歴史認識に拠れば、柳下跖のように「盗跖」と呼ばれ、歴史的に「大盗」の評価が定まった人物でも、それは権力が恣意的に振り回す理不尽な強権政治に彼が敢然と「造反」したからだ。「造反」には「有理(理が有る)」。「官」が権力を振り回して理不尽に「逼」るからこそ、「民」はやむなく決起して「官」に「反(刃向かう)」のである。
たとえば北宋の時代、北方から侵略軍に敢然と決起する楊家一族数世代による“祖国防衛”の戦い振りを描いた小説『楊家将演』をタネ本にした京劇『三岔口』では、三岔口(三叉路)で営業する旅籠は、客の金品を奪い取って挙げ句の果てには殺してしまおうという「黒店(怪しげな店)」だ。この旅籠に泊まった正義の士を旅籠の亭主夫婦が襲う。
深夜の大立ち回りが――歌舞伎の演出技法の1つである「だんまり」の超過激版――が特徴で、昔か人気演目の1つに数えられている。
共産党も当初は旧中国の解釈を踏襲していたが、京劇を“文化外交”の一貫として多用するようになると、京劇の「キ」の字も知らない外国人には「唱(うた)」と「白(せりふ)」が中心の本来の京劇では分かるわけがない。そこで見て分かるハデな立ち回りの代表的な演目である『三岔口』が、海外公演では多用されるようになった。
ところが旅籠の亭主夫婦が「盗」では具合が悪いとばかりに、彼らも正義の士に変えてしまった。「臉譜(くまどり)」の描き方も旧来の悪人ヅラを表す毒々しいものから、明るく落ち着いた色合いに換える念の入りようだ。
つまり共産党版『三岔口』では旅人と旅籠の亭主は互いに正義の士だが、共に相手を知らない。ふとした疑心暗鬼から双方が相手を悪人と誤解し、深夜の激しい斬り合いを演じたことになる。やがて誤解も解けてメデタシめでたし。旧来は盗賊のアジトであった旅籠も、共産党版では正義の士の連絡拠点に化けてしまった。
芝居としては旧中国での演出の方が数段面白いのだが、そんなことを共産党は歯牙にも掛けない。『三岔口』の改編ぶりから飛躍して考えることが許されるなら、はたして共産党政権が位置している現時点での政治的都合で過去を自在に解釈することになる――とは言えないだろうか。
かく考えるなら、建国後を振り返ってみても孔子解釈は「中華文化の精華」から「大反動」「人民の敵」と激しく揺れ動いた。そして孔子学院であり孔子平和賞となる。孔子学院は欧米諸国から文化侵略の拠点と告発され、開店休業状態。2010年に制定された孔子平和賞だったが、2011年以降は香港の孔子国際平和研究中心(センター)に管理が移管されたが、同中心は2018年5月には解散。どうやら孔子平和賞は泡のように消えてしまったらしい。だが彼らの手法を考えると、ヒョッとして孔子平和賞の権利を持つ者がいずれ折を見てブチ上げる可能性はなきにしもあらず、と見たい。
孔子平和賞にしても、どう考えても2010年10月にノルウェーのノーベル賞委員会が民主活動家の劉暁波にノーベル平和賞授与を発表したことへの対抗策として、同年12月に慌てて打ちだしたとしか思えない。いわば“姑息な対症療法”というわけだ。だが、どうやら孔子平和賞はナマクラな付け焼き刃。つまり浅はかな後智慧に過ぎなかったらしい。
孔子を巡る解釈の違い、孔子理解の変遷だけから判断するのは危険だとは思うが、この国には「歴史」はなさそうだ。いわば中国は「歴史のない国」、あるいは「歴史の呪縛から抜け出せない国」と言い換えることができるかもしれない。そうでなければ、20世紀後半に激しく展開された現実政治における権力闘争の正当性の証を、紀元数百年前の気の遠くなるような昔の記述に依拠するのは、やはりオカシイ・・・だろう・・・が。《QED》