【知道中国 2550回】 二三・七・仲六
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習216)
『批林批孔文章匯編(一)』、『批林批孔文章匯編(二)』、『魯迅批判孔孟之道的言論摘録』(中央党学校編写組編)、『五四以来反動派、地主資産階級学者尊孔復古言論輯録 付:蘇修正以及美、日帝国主義分子有関孔子的反動言論』の4冊を詳細に紹介するのは時間と労力のムダとも考えるが、政治的激動を前にした中国知識人が見せる政治的振る舞いの“典型”と思われるので、『批林批孔文章匯編(二)』だけは敢えて紹介しておきたい。
楊栄国が記す「孔子伝 反動階級の“聖人” ――孔子」のみが収められているが、孔子は社会の変革に意固地になって反対し、没落する奴隷所有者政権を守護し、奴隷制による統治秩序を維持し、「天命」なるデタラメを鼓吹し、鬼神を信奉し、反動的な人性論と教育思想を撒き散らした。孔子は民族史上空前絶後の大悪人――これが同書の主張になる。
そこまではともかく、この本の最後の数行がじつに印象的で衝撃的で滑稽で、中国における政治と学術の奇妙な、敢えて表現するなら“腐れ縁”を感じてしまう。そこには、こう書かれている。
「だから必ずやマスクス・レーニン主義を学び、毛沢東思想を学び、三大革命運動(階級闘争、生産闘争、科学実験)の過程で、劉少奇と林彪の2人の反面教師、そして孔子思想に対する徹底した批判を通じ、その拭い難い害毒を洗い流し、孔子という亡霊が再び人民に危害を加えないようにしなければならない」
何度でも言っておく。なぜ文革、いや毛沢東にとっては現実の政敵であり、しかもすでに政治的にも肉体的にも完全に葬り去ったはずの劉少奇や林彪を持ち出し、この2人を“口実”にして「孔子という亡霊」への備えを警鐘乱打しなければならないのか。ここまで孔子に悪罵を投げつけるということは、むしろ逆に「百戦百勝の毛沢東思想」も「孔子という亡霊」に恐怖を覚え続けているとは考えられないか。きっと、そうに違いない。
ここで急に突飛な考えが浮かんだ。はたして習近平政権が靡かせている「中華民族の偉大な復興」なる旗に私かに風を送っているのは「孔子の亡霊」であり、「毛沢東の亡霊」ではなかろうか。
京都帝国大学で「支那学」を修めた青木正児は、中国共産党が上海フランス租界で設立されたとされる1921年の翌年に当たる大正11年、江南の旅に向かった。長江下流域に広がる水郷の旅情を収めた『江南春』(平凡社 昭和47年)で、こう呟く。
「上古北から南へ発展してきた漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは『道』福である」と。
青木の考えを拝借して表現するなら、どうやら1949年の建国以来の中国は毛沢東政権による社会主義化が進む一方、澱となった「『儒』禍」が社会の奥底にへばりついたまま。かくて面目を一新した“新しい中国”であるにもかかわらず、依然として「孔子という亡霊」に責め苛まれ続けた。つまり“新しい中国”は意識下では完全に克服したはずの“旧い中国”と大差なし。いや桎梏に悩まされ続けた。相変わらずに「孔子という亡霊」から「危害を加え」られてきたことになるわけだ。
「孔子という亡霊」について言うなら、共産党政権が海外に展開する孔子学院だが、最近はどうも旗色が悪い。欧米諸国では文化侵略拠点と警戒の声が高まり、当初の目論見が外れて事実上の店仕舞を余儀なくされているようでもある。習近平政権にとっては面白い話ではないだろうが、「その拭い難い害毒を洗い流し、孔子という亡霊が再び人民に危害を加えないようにしなければならない」うえでは、この上なき“吉兆”と思うのだが。《QED》