【知道中国 2549回】 二三・七・仲四
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習215)
年が1974年に改まると、批林批孔運動が唸りを上げて動き出す。党機関紙『人民日報』、党理論雑誌『紅旗』、解放軍機関紙『解放軍報』が共同の念頭社説(『元旦献詞』)において、「中外反動派和歴次機会主義路線的頭子都是尊孔、批孔是批林的一組成部分」と大々的、かつ仰々しくも打ちだした。つまり「内外の反動派と数多のオポチュニスト路線の親玉は全て孔子を尊敬している。孔子批判は林彪批判の柱である」と主張する。
こうして孔子批判を林彪批判に“合理的”に結びつけ、それを共産党の大方針として内外に明らかにしたことからだろう。江青ら四人組に加え、特務の親玉で知られる康生までが派手に動き始めた。
ここで注目すべきが「歴次機会主義路線的頭子」になる。党員として、あるいは指導者としての周恩来の活動歴を検証してみれば、毛沢東を攻撃したり、平伏したり、執事然と振る舞ったり。「不倒翁(おきあがりこぶし)」とは周恩来に対する“賛辞”だが、言い換えるなら「歴次機会主義路線的頭子」でもあるわけだ。
四人組の動きの活発化に反比例して、毛沢東の衰えが目立つようになる。後に明らかになったところでは、この頃になると失明状態に近く、ロレツは回らず、一連の会議には参加しなくなった。江青は、そこに付け入るスキを見つけたに違いない。
政治の中心におけるこのような動きが必然的にそうさせたのだろうが、1974年1月には『批林批孔文章匯編(一)』、『批林批孔文章匯編(二)』、『魯迅批判孔孟之道的言論摘録』(中央党学校編写組編)、『五四以来反動派、地主資産階級学者尊孔復古言論輯録 付:蘇修正以及美、日帝国主義分子有関孔子的反動言論』の4冊が揃って人民出版社から出版された。
『批林批孔文章匯編』は巻頭に次の「出版説明」を置いている。
「ブルジョワ階級の野心家、陰謀家、両面派、叛徒、売国奴である林彪は、正真正銘の、紛れもなき孔老二(クソッタレ孔子)の信徒である。ヤツは歴代の滅び去った反動派と同じように、孔子を尊び、法家に反対し、始皇帝を攻撃し、孔孟の道を党権力を簒奪し、資本主義を復辟させようとする陰謀の思想的武器にした。
広範な労働者・農民・兵士・大衆と幹部とが批林批孔をより深化させようとする求めに応じ、『批林批孔文章匯編』を出版し参考に供したい。関連する文章は、今後継続して編集出版する」
その内容だが、収められた各論文を読むまでもなく(解説は徒労に近い)、率直に評するなら孔子と儒家思想に対する悪罵の寄せ集め。もちろん書き手は、楊栄国、唐暁文、羅思鼎、史群、哲軍ら錚々たる筆杆子たち。
ここで特に記しておきたい点が、当時の中国哲学・思想関連の代表的学者で知られた馮友蘭(1895~1990年)が「我が過去の尊孔思想に対する自己批判」なる論文を掲げ、この批林批孔運動の戦列に加わったことである。
20世紀前半、孔子・儒家の研究家として出発した彼は一貫して孔子の学説を称揚していたが、時流に応じて学説を“自己批判”するなど、自説を小器用に調節して生きてきた。そして批林批孔運動が起こるや、案の定、批林批孔陣営に馳せ参じたのである。
極めて不真面目であることを承知で表現するなら、彼は中国の哲学・思想学界の“多羅尾坂内”だった。つまり「ある時は孔子教、また、ある時は反孔子教、またある時は孔子教・・・して、その実態は我が身可愛さの自己チュー学者の馮友蘭」だったのだ。
『魯迅批判孔孟之道的言論摘録』では魯迅が記した孔子批判文が、『五四以来反動派、地主資産階級学者尊孔復古言論輯録』では近代に活躍した著名な政治家・軍人・学者・革命家・共産党員に加え、米・ソ連・日本からの関連文章を収める。スグレモノだ。《QED》