【知道中国 2545回】                      二三・七・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習211)

 

さて肝心の楊栄国である。国を栄えさせる・・・何とも皮肉な名前である。彼はゴ主人サマである四人組のために、該博な古典知識を武器にして批林批孔の戦線に乗り込んだ。

「孔子が生きた春秋時代末年は、周王朝の奴隷制国家が崩壊に向かおうとする時代だった」と書き出され、「奴隷制度の下では、奴隷はブタや犬にも劣る生活を強いられただけでなく、命すら奴隷所有者の手に委ねられていた。奴隷所有者は奴隷を思いのままに殺すこともできた」と続ける。

さらには「社会は変革し、時代は前進する! 奴隷たちは造反し、新しく興った力が前進を続け、奴隷所有階級は不安なままに終末を迎える。歴史の潮流が逆巻き、社会の大変革の渦中で、奴隷所有貴族たちは没落への道を歩む」と畳み掛けた。

となれば、この本で楊が語ろうとする主張の大凡は予想できるだろう。つまり孔子は前進する歴史の潮流に逆らい、新しい時代を切り拓こうとする奴隷の造反に楯突き、没落を運命づけられた奴隷所有階級に奉仕し続けた極悪非道の反動ヤローということになる。

かくして楊は孔子の反動振りの証明に躍起となる。その一例だが、楊は「元来、孔子は奴隷は働かせればいいだけで、決して知識を持たせてはならないと考えていた」とし、その論拠に『論語』(泰伯 第八)の「子曰く、民は之に由ら使(し)む可し。之を知ら使しむ可からず」を挙げる。

だが、この部分を素直に読めば「老先生の教えられるところでは、人々を政策に従わせることはできるものの、政策の意義や目的を理解させることは存外に難しいものだ」となるはず。つまりコジツケ、いいがかり、ヘリクツが筆杆子の武器なのだ。

かくして楊の結論は、「これまで述べたことから、ある結論を導き出せる。凡そ歴史の歯車を逆転させようとする輩は、とどのつまり、ありとあらゆる悪知恵を持ち出して孔子という幽霊を担ぎ出す。劉少奇、林彪などというヤツラがそれだ。こうして彼らは資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策した」という“予定調和”の結論に立ち至るわけだ。

そしていま21世紀初頭にあって、「ありとあらゆる悪知恵を持ち出して」いるかどうかは知らないが、共産党政権は「孔子という幽霊を担ぎ出」し、国内では民族文化の精華として孔子を崇め奉り、海外では“輝かしい中国文化”を教え広める拠点として孔子学院なる機関を大々的に展開中した。

ということは楊の理屈に従えば、現在の共産党政権は「資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策し」、「歴史の歯車を逆転させようと」していることになる・・・のだが、その孔子学院が欧米では文化侵略の拠点と見なされ、中国包囲策の一環として糾弾され、存立のピンチに立たされている。

このような現状を前に、習近平政権は孔子学院へのテコ入れ策を打つのか。それとも相手国内で敢えて事を荒げずに、深く静かに孔子を掲げて孔子学院機能の維持を謀るのか。  

それにしても、かりに中国に孔子が生まれていなかったら、林彪も死に恥を曝したばかりか、「孔子の学徒」だなどと“痛くもない腹”をア~ダ、コ~ダと探られることもなかっただろうに。加えるに習近平政権にしてもソフトパワー発信拠点(つまりは政治宣伝機関)の看板に孔子の2文字を被せるような“姑息な手段”を弄する必要もなかったはずだ。

じつは奇妙なことに、同じ12月に香港でも羅思鼎の論文など11論文を収めた『論尊儒反法 ――儒家思想批判論文選輯』(景池等)が出版されている。出版元は香港三聯書店。香港の人々が儒法論争などに興味を示すわけもなく、いったいなにゆえに出版したのか。香港に屯す四人組系勢力の存在証明、体のいいアリバイ作りなら、愚の骨頂だろう。《QED》