【知道中国 2541回】 二三・六・念七
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習207)
邏輯の次は経済である。
『両種社会 両種貨幣』(尚仁杭編 上海人民出版社)は、「人民元が国際金融市場の舞台に登場するや、全世界革命人民の支持を得た。帝国主義は震え上がり、社会帝国主義は力の限り誹謗中傷する。〔中略〕かくて全世界に向かって厳かに宣言する。『我が中華民族は敵との血戦を徹底的に戦い抜く気概を持ち、自力更生を基礎にして旧い事物を盛時のように光り輝かせる決心を抱き、世界民族の林立するなかに傲然と屹立する能力を持つ』(『論反対日本帝国主義的策略』)」と、「全世界に向かって厳かに宣言」した。
「我が中華民族」を誇示する姿は、まるで習近平政権が獅子吼する「中華民族の偉大な復興」の先駆けと言ったところか。あるいは、ここに示された根拠は薄弱ではあるが滅多やたらと勇ましい姿勢が文革期の若者の脳裏に「中国の夢」として深く記憶されたと考えるなら、それが現在の習近平政権に“フラッシュバック”したとしても、強ち不思議ではなさそうだ。そこで、先ずは眉にツバをタップリ付け、その主張を慎重に読んでみたい。
――マルクスの科学的唯物史観によって、金銭の持つ万能の魔力は貨幣それ自体に備わったものではなく、商品の持つ社会体系にあることが明らかにされた。社会主義制度においてはヒトがヒトを搾取することもなく私有制も消滅し、労働者が受けてきた労苦・忍従の根源も綺麗サッパリと取り除かれる。プロレタリアと労働者は自らの命運を自らが握り、生産に関する一切を掌握し貨幣すら支配できるようになった。
社会主義社会になったとはいえ、商品の生産と交換は行われている。だから貨幣は存在し続ける。だが生産に関する一切が公有制に変質した情況においては、貨幣がブルジョワの手に集められ、労働人民を搾取する手段に変質することは金輪際ありえない。党と国家が貨幣を社会主義革命と社会主義建設の手段として用いることで、社会主義の生産体系を実現させる。
このように、新中国の貨幣である人民元は、誕生の瞬間から旧来の貨幣とは全く異なる使命を秘めていた。人民元は人民民主主義革命や社会主義革命を進め、国民党や帝国主義による金融支配との激烈な闘いの中で成長し、基盤を固めてきたわけだ。
建国から20数年、中国は貨幣の持つ機能を意図的に運用し、それまで残されてきた工業製品と農産品の間の価格の不合理な現象を改善し、工業製品と農産品の価格調整を成し遂げ農業生産の発展を促し続けた。かくて農民の生産に対する積極性を大いに高め農民収入を拡大し農民生活を改善し、労働者と農民の結びつきを強固になしえた。
とどのつまり資本主義における貨幣とは根本的に違う社会主義の貨幣は、国家の計画経済という枠組みの中で生産、流通、分配、それに消費などの各部門を結びつけるものであり、プロレタリア階級が手にした有力な手段である。社会主義社会に至って貨幣は搾取のための道具ではなくなったが、社会主義社会にも階級は存在し、階級矛盾と階級闘争は依然として残るということを忘れてはならない。
であればこそ商品と貨幣の関係において旧社会の伝統と痕跡は消えることなく、貨幣はブルジョワ階級によって資本主義活動を復活させるために悪用され、社会主義を危殆に陥らせる可能性を秘めている。
本書は最後に、「現在、我が国は一に内債、二に外債、三に個人所得税のない社会主義国家である」と胸を張って自画自賛してみせた後、大幅な財政赤字に苦しみ、デタラメな増税策を弄し、紙幣を増刷し、国債を膨らませている一方の帝国主義諸国を嘲笑ってみせる。
――以上、この本を筆者なりに整理してみたが、こんなことを真顔で考えていたなら、呆れてモノが言えない。文革式「中国の夢」は壮大な蜃気楼ではなかったか。《QED》