【知道中国 2539回】                      二三・六・念三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習205)

 

 次の『天問天対註』(上海人民出版社)は『商鞅変法』や『王充――古代的戦闘唯物論者』とは趣を異にしていて、上海の名門で知られる復旦大学中文系古典文学教研組によるもので、戦国楚の詩人の屈原(前340~前278年)が著しとされる「天問」、その「天問」の影響を受け唐宋八大家に数えられる文人の柳宗元(773~819年)が記した「天対」の2編を並列的に編集し、詳細な註をほどこしている。

 文革、しかも激しい林彪批判の渦中で、なぜ、屈原やら柳宗元が持ち出されるのか。その理由は『天問天対註』の「前言」によれば、こうだ。

 屈原は「天問」で奴隷主階級の宇宙、自然、歴史に関する伝統的観念を強く懐疑し、詩人特有の愛国思想と積極的浪漫精神を情熱的に発した。「天問」に触発された柳宗元は「天対」において、「元気」が宇宙の本源であり、宇宙を物質と見なした。宇宙は限界も、中心も、末端もなく、だから限界なく無限に広がる。太陽が昇ったり降りたりするのではなく、我々から見た太陽の位置が変化するだけ。まさに地動説であり、無神論を明確に打ち出し、天命思想に反対している。

 ――そこから林彪批判が導き出されるなどとは考えてはいないだろうが、それにしても林彪を批判するには単純明快に「毛沢東に敵対したから」「毛沢東の気分を甚く損ねたから」「毛沢東を煙ったがるようになったから」「毛沢東を蔑ろにしたから」と“糾弾”すれば済むものを、なにゆえの屈原だの柳宗元を持ち出さねばならないのか。

 ここで極めて穿った見方をしてみたい。

復旦大学中文系古典文学教研組は自らが進めていた「天問」「天対」の研究を世に発表したかったが、機会が見つからなかった。ところが折良く林彪批判の運動が大々的に発動された。どうやら林彪が毛沢東への一種の拍馬屁(ヨイショ)で「アナタは天才だ」と口を滑らした。その「天才論」を林彪が突きつけた“引退宣言”と思い込んだ毛沢東は過剰に反応し、林彪失脚に動いた。

かくして林彪批判の大きな柱として「天才論」批判が位置づけられたことから、奴隷主階級の伝統的観念を強く批判する「天問」、無神論や唯物的思想で貫かれた「天対」は天命思想に反対している――こうこじつけて、自分たちの仕事を世に問うたのではないか。

そうであるなら「上に政策あれば下に対策あり」であり。となると、復旦大学中文系古典文学教研組もなかなかヤルものだ。

いずれにせよマトモに考えさえすれば、屈原の「天問」、柳宗元の「天対」が林彪批判の根拠には到底なりそうにないが、「なる」と考える思考回路に疑問を持たざるを得ない。やはり彼らの思考は特殊な歴史認識で形作られているに違いない。つまり全ての過去は、現在の権力の行為の全てを正統化し、正当化するため。テイのいいアリバイ証明だ。現在の権力を取り巻く政治的環境に奉仕するために過去は存在するのだろうか。まさか、そうではないとは思えるが、習近平政権のやり方を見ていると、そんなフシが強く感じられる。

同じ11月、同じ復旦大学の哲学系邏輯教研組が『形式邏輯』(上海人民出版社)を出版している。「邏輯」はlogicの漢語音訳でロジック、つまり議論の道筋、論理、論法、論理学などを指す。

全123頁と活字量は少ないが、論理的に構成された内容は極めて常識的・網羅的に形式邏輯を分かり易く解説している。だが、時が時だけに例題に林彪批判が飛び出す。たとえば「一切の修正主義分子(M)は全てマルクス主義の敵である(P)」、「林彪(S)は修正主義分子(M)である」、「だから林彪(S)はマルクス主義の敵(P)である。ここでS=Pのロジックが成立することになる。じつに、なんとも回りくど過ぎないかい。《QED》