【知道中国 2536回】 二三・六・仲四
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習202)
『歴史知識叢書 美国独立戦争』と『歴史知識読物 美国南北戦争』を“素直”に読む限り、ニクソン大統領が治めるアメリカは「広範な人民大衆は依然として被搾取・被圧迫階級の地位に押し止められたままで」あり、労働者・農民大衆は一貫して救済されることはないと見なされている。いわば労働者・農民にとって絶望しかない国家となるはず。
にもかかわらず、そんなアメリカとの関係の構築・強化を目指した毛沢東は、その理由に「敵(ソ連社会帝国主義)の敵(アメリカ帝国主義)は味方」とのリクツを持ち出し、「打倒美帝国主義」をお題目のように唱えさせた国民を納得させようとしたわけだ。
だが、やや穿った見方をするなら、それは毛沢東のゴ都合主義というものではかろうか。アメリカの国家としての成り立ち、歴史的体質を全面否定しながら、その一方で国際社会の政治力学の利害得失からアメリカに急接近する。中国一国でソ連を相手にするには荷が重すぎるから、ならばソ連と敵であるアメリカに手を回そうというのだろう。
ここから判断して、原理原則は飽くまでタテマエであり、ホンネの部分ではその場限り。リクツは後から就いてくる、ってやつだろうか。こういった傾向は、なにやら市井の名もなき中国人の振る舞いにも当てはまるように思えるのだが。
いや、もう少しヒネって考えると、中国における大多数の「無告の民」からするなら、政治が持ち出した「打倒美帝国主義」なるイデオロギーは“どうでもいいこと”であり、であればこそ口先だけで唱え、毛沢東政治の強い求めに応えているフリをしているだけではなかったか。「上に政策、下に対策」の、例のアレである。
当時、日本における文革報道を思い出してみると、毎日新聞で文革に関する讃仰的記事を連発していた新井宝雄(記憶に間違いないとは思うが・・・)は、中国の人口が8億だったことから、「文革は8億の毛沢東を目指す」と熱く伝えていた。だが考えて見れば、毛沢東が8億人もいたら、中国のみならず世界はハチャメチャな大混乱に陥っていたに違いない。まあ、バカも休み休み願いたいところだが。
閑話休題。
さて1973年11月に入ると、いよいよ四人組が蠢き始める。
この月に出版された共産党理論雑誌『紅旗(第11期)』に、四人組の1員である姚文元の差しガネで、四人組周辺の理論集団である羅思鼎が8ヶ月の時間を掛けて練り上げたとされる「秦王朝建設過程における復辟と反復辟の闘争 ――兼ねて儒法論争の社会的基礎を論ず」が掲載され、「呂不韋の折衷主義」が批判されたのである。一説には、この文章を手にした江青は、「この文章が優れているのは呂不韋を批判していること。呂は宰相なんだ」と、机を叩いて絶叫して喜んだとも。
以後、四人組を軸にした「文革原理主義」とでも言うべき過激な政治路線が走り出すわけだが、江青が「呂は宰相なんだ」と歓喜したとされることから類推できるように、四人組が仕掛けた儒法論争の究極の標的は周恩来追い落としにあったと伝えられる。
ここで、標的は周恩来との説の真偽を論ずることはともかく、やはり問い質しておきたいのが中国における歴史認識の問題である。なぜ紀元前200年以上も昔に起こった「秦王朝建設過程における復辟と反復辟の闘争」と言う問題が、二千数百年後の共産党政権下において展開される権力闘争を左右する論拠になりうるのか。
なぜ、そうまでして自らの政治的・思想的正当性を補強しなければならないのか。なぜ、そこまで歴史――より正確に表現するなら歴史解釈――に、自らの立場の正しさを依拠しなければならないのか。孔子批判にも通ずるが、なぜ、そんな遠い過去の事績を現実政治の場に持ちだし、政敵糾弾の論拠にするのか。この辺りのカラクリが全く解らない。《QED》