【知道中国 2534回】                      二三・六・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習200)

 

やはり学術の世界に生きる学者といえども、いや、やや性急に、敢えて誤解を恐れずに言ってしまうなら、学者だからこそ一筋縄ではいかないのである。それが典型的に現われるのが孔子の捉え方と言えるだろう。

文革時、あそこまで徹底して口汚く罵り、侮蔑を加え、孔子を蛇蝎視し、地獄の底に突き落とすばかりか、「中国の統治階級は自らの立場が立ち行かなくなると“至聖孔子”を持ちだす」と批判していながら、対外開放の時代に移るや、いつか知らぬ間に偉大なる中華文化のゴ本尊として崇め奉り、誰もが文革時の悪罵の数々をなかったことにしてしまう。剰え新たに中華文化の海外普及のための教育拠点を考え出すや、それに孔子の2文字を麗々しく冠した孔子学院なる機関を創設し、世界各地に遮二無二展開させようと画策する。

こう見てくると、権力の都合で徹底して否定されたり、極度に持ち上げられたり、時に忘れられたり、時に褒めそやされたり。はたして孔子が現在の中国に蘇ったなら、ジェットコースターのように上下する評価に、おそらく戸惑い、目を白黒させるに違いない。

そのアッケラカンとした対応ぶりに頭が下がるが、これを逆に考えるなら、伝統にガンジガラメに縛られたまま、そこから容易に抜け出せないばかりか、政治(権力)の要請に応じて伝統への向き合い方を千変万化させてしまう。こんな中国人の“融通無碍”な思考回路に大いに興味を惹かれる。この辺りのカラクリを解きほぐすことも、これからの中国を、将来の世界を、なによりも日本の行く末を考えるうえでのカギとなるはずだ。

さて73年10月に入るや批林批孔運動と共に、孔子(儒家)批判の裏返しとも言える法家評価の運動は本格始動する。その第一弾が国慶節祝賀の1日に共産党最高理論誌『紅旗』に文革派理論誌『学習与批判』が掲載した論文「論尊儒反法」が転載されたことだろう。

かくして古代思想研究の権威で知られた楊栄国の著した『孔子――頑固地維護奴隷制思想家』(香港三聯書店)が香港の中国系書店の店頭にお目見えする。ここで興味深いのが2点。1つ目は楊栄国が徹底した体制順応方の“御用学者”の類であること。2つ目は出版元の香港三聯書店が共産党メディア、ことに上海系文革過激派のメディア戦略の香港拠点――香港に置いた弾薬庫であり砲兵工廠――であった点である。

『孔子――頑固地維護奴隷制思想家』は『人民日報』(73年8月7日、13日)、理論雑誌『紅旗』(72年12期)に発表した関連論文を集めている。

孔子の説く“孝”と“悌”は“仁”の根本に帰結すると主張する楊栄国は、孔子の考えに対し、次のような“瞠目すべき解釈”を示してくれたものだ。

「古代奴隷社会は氏族貴族によって統治されていた。統治階級の奴隷主は同一の氏族に属し、共通する子孫を持つ。当時、奴隷主間の内部矛盾が尖鋭化し、このままでは奴隷主による統治体制が崩壊しかねない、と孔子は憂慮した。そこで、奴隷主を団結させるべく、奴隷主内部に限り祖先、父母に孝道を尽くすことを説いたのである」

つまり楊栄国の考えを敷衍するなら、孔子の道の根本とされる“仁”は、このように統治階級である奴隷主内部の結束を固め、彼らの統治を永続させるため、奴隷の固定化を図ろうとした不埒極まる反人民的な《邪悪な思想》ということになる。だが、考えてみるに、これは“仁”に対する悪態であり、日本における一般的な解釈とは余りにもかけ離れている。よくもまあこんな屁リクツを思い浮かぶもの。キモを潰しかねない。

だが紀元前500年前後に生まれた《邪悪な思想》が20世紀70年代における権力闘争の正当性の論拠になっているわけだから、逆に相当長期間に亘って中国人は儒家思想に囚われ続けてきたと言うことだろう。伝統の勁さ、シガラミ、《孔子の呪縛》、中国人に対する孔子の憂慮、いや深情け・・・もし孔子が日本に生まれていたらと、ふと考える。《QED》