【知道中国 2528回】 二三・五・仲五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習194)
落ちている針金を拾い溶かしたところで、それはクズ鉄の類であり、ダイヤモンド並みに固い切っ先を備えた油田掘削機や、ビルを支えるような良質の鉄骨ができるわけがない。なまくらな鋤や鍬が関の山だ。とどのつまり大躍進は毛沢東の妄想から生まれ、全土を挙げた狂騒と熱狂の政治的バカ騒ぎであり、壮大なムダであり、大後退でしかなかった。
「一寸の鉄、一寸の鋼」を捜し求めて地を這いずり回ったであろう時代から60余年が過ぎた現在、習近平政権に率いられた中国は目いっぱいに広げた欲望の翼で地球全体を覆い尽くそうとしている。であればこそ、あの時代のモッタイナイ精神が、無性に懐かしいのだが・・・。
次の『日常応用文』は手紙、電報、事務的文章、メモ、議事録、通知、事務連絡、祝い事、契約、計画、報告、日記、議事録、大字報、春聯など誰もが日常に接する文章の書き方を学ぶ教本である。出版された時代が時代だけに、ハウ・ツーものであっても毛沢東思想に溢れ返っている。それが時代の風潮というも。やはり致し方のないことだ。
その一例を、黒龍江省に下放された息子が「貧農下層中農と共に日々大地と戦い、彼らからの再教育を虚心に受けている」と信じる父親は、次の文面を息子に書き送っている。
「息子よ、お前たちの世代は実に幸運だ。ワシは旧社会にあって政治的には圧迫され、経済的には搾取を受け、牛馬のような生活を強いられた。だが今日、党と毛主席のお陰で国家の主となったのだ。いまの我が身は共産党を忘れない。いまの幸せは全て毛主席から授かったもの。ワシは働きながらも世界に目を広げ、革命の為に全力を尽くしたい。お前が毛主席の教えをしっかりと記憶し、革命の大道を驕り高ぶらずに胸を張って進んでいくことを、ワシは確信する」
中国全土が、こんなリッパな父親と息子に溢れていたら、さぞや素晴らしく理想的な共産主義大国に成長していただろうトは思うが、考えただけでも空恐ろしい限りだ。
冒頭に掲げられた「手紙と電報を書くうえでの心得」も「革命書信寄深情、五湖四海心連心。開頭先把称呼写、正文叙述層次清、結尾致意共勉励、姓名、月日写分明。若有急事拍電報、言簡意明細訂正」と注意喚起されている。なんとシッカリと七言八句で、しかも韻を踏んでいるから手が込んでいる。
これを訳してみると、「深情(おもい)を伝える革命書信、心と心で五湖四海(せかい)を結ぶ。最初に正しく相手の名前、次に思いをしっかり書いて、結びは互いに励まし合って、名前と月日はしっかりと。急ぎの用事は電報で、心を砕いて簡明に」といったところ。
カタカナでは中国語の音を正しくは表せないことは十分に承知しているが、この文章の中国語音を敢えてカタカナ標記してみると、
「ゴウミンシュシン・チイシェンチン、ウーフースーハイ・シンリェンシン。カイトウシエンバー・チョンフーシエ、チョンウエンシューシュイ・ツォンツーチン、チエウェイジーイー・コンミエンレイ、シンミン、ユエリー・シエフェンミン。ルーヨウジーシ・パイディエンパオ、イェンチェンイーミン・シーティンチョン」
もうお判りだろう。「情(チン)」「心(シン)」「清(チン)」「励(ミエン)」「明(ミン)」「正(チョン)」と「ン」の音で揃えてある。だから調子がよくて覚え易い。一見すると革命的だが、どの例文にも溢れ返る毛沢東と党の政治的な文字を除くと極めて形式的。文章作法上の歴史と伝統が息づく。革命的四六駢儷体といったところだ。
こうみてくると、彼らは頑迷固陋で伝統的文章形式を墨守しているにすぎないようだ。文体は思想を、形式は思考方法を導く。漢字に潜む意思表示上のカラクリを考えるなら、漢字が醸しだす形にはまった思考回路から解放されることは容易くはないだろう。《QED》