【知道中国 2526回】                      二三・五・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習192)

 

 人間生活の全て、いうならばヒトの生き死にから個々人の箸の上げ下ろしまでを政治が統御する共産党政権であればこそ、やはり文学といえどの現実政治・権力闘争のダイナミズムの渦から逃れることなどできはしない。ましてや人間の営みの一切は政治(=革命)に奉仕しなければならないことになっている毛沢東思想からすれば、古典小説であっても、この“道理”に従わなければならないわけだ。

 だが、何百年も昔に描かれた小説をマルクス・レーニン主義や毛沢東思想を基準に問い続けることに、いったい、どれほどの積極的で今日的な意味があるのか。既に相応の業績を残している学者が敢えて文革(=政治)のお先棒担ぎになって、古典小説を毛沢東思想のモノサシで解読してみせる意味、あるいは古典小説から毛沢東思想の“正しさ”を補強する意味は、いったい、どこにあるのか。こんな素朴な疑問が湧きもするが、理屈や理想を抜きにして、それこそが共産党政権下の政治であると一先ず心得ておくしかない。

 1973年8月に入ると、批林批孔運動が現実の政治日程に組み込まれることになる。

 江青が「儒法闘争」(儒家と法家の闘い)に関する毛沢東の談話を政治局に伝達した翌7日には、中国古代思想史研究の大家で知られる楊栄国が『人民日報』に「孔子――頑固地維護奴隷制的思想家」を、6日後の13日には「両漢時代唯物論反対唯心論先験論的闘争」を発表した。いよいよ政治(批林批孔運動)の場に学問が登場することとなったのだ。

 この頃、江青の命を受けた勢力が林彪宅を家捜しし、林彪と孔子の関係を結びつける数多の“証拠”を探しだし、『林彪与孔孟之道』の原稿執筆に着手している。

 20日には毛沢東の指示によって第十回共産党全国大会の準備会議が開かれ、「関於林彪反革命集団罪行的審査報告」が採択され、林彪、陳伯達、葉群など林彪派の党籍を永遠に剥奪することが決定した。

 24日、第十回党大会は毛沢東によって開催され、周恩来が政治報告を、王洪文が前回第九回党大会で採択された林彪を毛沢東の後継者とした党章(党規約)の改正報告を行った。開会式典を主宰したのは毛沢東で、全国から1949人の党員が参集し、28日まで続いた。なお、前回大会(1969年4月)から今大会まで党員数は600万人強増加している。

 特筆したいのは、26日、毎秒1万回の演算が可能な「集成電路電子計算機」の第1号が北京で完成していることだろう。文革とはいいながら、科学技術の発展に力を入れていたわけだから、やはり、この点を侮ってはいけない。

 8月購入分は『安哥拉的小英雄』(鄭際浩文 林義君画 広西人民出版社)、『紅色道路』(寧宇 上海人民出版社)、『日常応用文』(学群編写 上海人民出版社)、『学点語法』(中山大学中文系編 広東人民出版社)、『歴史知識読物 中国原始社会』(張景賢 中華書局)――

 中央で批林批孔キャンペーン開始を決定したとしても、それが印刷物(“紙の爆弾”)となって全国にバラ撒かれるには、やはり時間差があるようだ。

 『安哥拉的小英雄』は少年向けの全15頁の薄っぺらな絵本。アフリカ大陸西海岸のポルトガル殖民地アンゴラで1961年に始まった反殖民地武装闘争に従軍する13歳のモソンガと呼ばれる「小英雄」の物語。すでに彼は3年の戦闘経験を持つ歴戦の強者。彼の銃口からは「恨みの銃弾が迸り」、60人強の侵略兵を撃ち殺したのである。 

 かくて「小英雄は戦闘の中で成長し、彼の英雄としての振る舞いはアンゴラ人民の賞賛を浴び、アンゴラ人民を奮い立たせ、反殖民地闘争は前進し続けるのであった」と結ぶ。

『張高謙』(2524回参照)の描く張高謙と言い、アンゴラのモソンガと言い、ともかくも少年を「小英雄」と煽てあげ、彼らの心に造反有理の4文字を刻みつけることで、文革の継続を図ったに違いない。さて現在の中国で、誰がモソンガを覚えているだろうか。《QED》