【知道中国 2524回】                      二三・五・初七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習190)

 

 このような教育を受けた生徒に与えられと思われる副読本が『張高謙』(何為編著 上海人民出版社)で、初版発行は50万部。当時の子供向け読物の基準からしても飛び抜けて多くが出版されている点からして、相当に力を入れた内容の“煽り教材”だと思われる。

 張高謙クンは13歳で、福建省農村部の大韓小学校の少年先鋒隊中隊長である。これだけでも彼が全身全霊で「為人民服務」の生活を送っていることが浮かび上がってくるだろう。

 村に略奪にやって来た国民党兵士と戦って負傷した老人の話に熱心に耳を傾け、老人の手を固く握っては「オイラも革命をするんだ!」と。すると老人は静かに力強く、「いいかい革命をするには毛主席のお話を聞き、集団を愛し、人民公社を愛し、我らが社会主義の祖国を愛さなければならないんだよ!」と。

 刻苦勉励の日々を送っていた張高謙クンは、ある日、人民公社の大切なブタを盗んで密かに食べてしまった陳先鳳を捕まえ人民公社に突き出した。罪を償うための「労働教養(刑務所)」を経て帰村したが、心を入れ替えはしなかった。次には人民公社の大切な財産である子羊を盗もうとした。これを咎めたことで、張高謙クンは陳に殺されてしまう。やがて陳先鳳は人民公社党支部書記の手で逮捕され、人民裁判で死刑処分を受ける。

 大韓村の人民公社の農民と少年先鋒隊のエリート少年たちは、村の裏山の張高謙クンの墓前で事件解決を報告したのであった。かくて『張高謙』は、「毛主席のよい子である張高謙は、自らが所属する集団を愛し、人民公社の精神を愛し、階級の敵との闘いにおいて徹底して英雄の気概を発揮し、永遠に我々が前進することを励ましてくれる」で終わる。

 自らの命と引き換えに人民公社の貴重な財産を守った13歳の張高謙クンを讃えることに文句はない。だが、なんだが納得がいかない。それというのも、彼が犠牲にならなければならなかった原因は、人民公社党書記を筆頭とする大人たちが陳先鳳の犯罪を見抜けなかったからだろうに。犯罪を見て見過ごした。見ぬ振りをした。あるいは陳の素性を見抜けなかったからこそ、13歳の少年に犠牲を強いてしまったはずだ。

 いわば大人たちが無責任で無能が過ぎた。アホだった。いや革命的覚悟が欠如していた。いやいや徹底していい加減だった。言い換えるなら「自らが所属する集団を愛し、人民公社の精神を愛し、階級の敵との闘いにおいて徹底して英雄の気概を発揮し」ようとはしなかった。だからこそ「毛主席のよい子である張高謙」をむざむざと死なせてしまった。それにも拘わらず「永遠に我々が前進することを励ましてくれる」とは、デタラメが過ぎる。

であればこそ『張高謙』を学んだ「毛主席のよい子」たちは、陳先鳳の反革命行為を見抜けなかった大人たちに疑問と不信感を抱くことはなかっただろうか。

ここで習近平政権3期目の中核を形作る習近平側近の生年と1973年当時の年齢を見ておくと、首相の李強(1959年生/14歳)、全人代常務委員長の趙楽際(1957年生/16歳)、政治協商会議主席の王滬寧(1956年生/17歳)、中央書記書常務書記の蔡奇(1955年生/18歳)、国務院副総理の丁薛祥(1962年生/11歳)、中央規律検査委員会書記の李希(1956年生/17歳)となる。

 彼らも少年の頃、英語で「We loves Chairman Mao」「We must do as Chairman Mao teaches us」「The people want revolution」などの例文を学び、中国語の教師から「毛主席の革命路線は我が党の生命線です」「毛主席は中国人民の大きな大きな救いの星です」「皆さんは労働を通じて『一不怕苦、二不怕死』の気高い革命精神を身につけるのです」と煽り捲られたことだろう。ならば“第2の張高謙”に憧れたとしても決して不思議ではない。

 

「毛沢東のよい子」の心に宿った熱い思いは半世紀ほどの権力闘争を潜り抜けて権力の頂点に上り詰めた今になっても、なお沸々と燃え滾っている・・・としたら、ヤバイぜ。《QED》