【知道中国 2512回】                      二三・四・初九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習178)

文革から離れて、『李時珍与《本草綱目》』が「削除すべき部分」と記している辺りに足を踏み入れてみるのもオモシロそうだ。「削除すべき部分」と断っているだけあって、クスリの材料にしては奇妙奇天烈で凄惨至極。だが、そこに、これまで日本人が気づかずに過ごしてきた中国古来の発想が秘めた“不都合な真実”が隠されているようにも思える。

本草学とは地上に存在するありとあらゆるモノの本質を解き明かし、数限りない薬効を極める学問を指す。その集大成として、明代に李時珍が漢方薬学百科全書『本草綱目』を著した。巻末を飾るのが「人部 第五十二巻」である。

 著者の李時珍は人部の冒頭で「かつては骨、肉、胆、血などなんでも薬になるという考えもあったが、残忍極まりないことだ。そこで残忍・邪穢なものは採用しないことにして、人が使ったことがあり、捨て去ることもできないものだけを挙げて詳しく説明しておいた」と断ったうえで、35種類を列記し、味、調剤方法、薬効などを詳しく記すのであった。

 乱髪、頭垢、耳塞、膝垢、爪甲、牙歯、人屎、人尿、人汗、人血、乳汁、目涙、陰毛などと並べているが、これがクスリになるのか、と驚くしなかない。さて、どんな薬効があるのか。興味津々だ。

たとえば耳塞(耳クソ)の項には、「味はショッパクて苦い。温いものは毒がある。蛇に咬まれた場合には、ミミズの糞と混ぜ合わせて塗れば黄水が出て、直ぐに傷が治る。晒して乾かし粟粒ほどに丸め毎晩眼に点ければ、あらゆる眼病に効果あり」とか。そんな薬効が耳塞にあるはずもなかろうが、李時珍の時代には信じられていたと考えるなら、明代に対するイメージも相当に後退するはずだ。

以上に記した35種類は人体そのものではいから、それを採ったとしても命にはかかわりそうにない。ところが人骨、人魄、天霊蓋、人胞、人勢、人胆、人肉、木乃伊、方民、人傀などとなると、ヒトの生死に深く関わるだけに、どうやって調達し漢方薬に仕上げるのか。やはり興味は尽きない。

たとえば人骨は焼いて粉末にした後で「空心」となり、酒と一緒に服用すれば、鞭打ちの刑を受けても打たれた場所は腫れないし、そのうえ傷も残らないそうだ。空心とは邪念を去ることらしい。そんな効能があるのなら、その昔、鞭打ちの刑と定められた罪人は焼いて粉末にした人骨をたらふく服用したのだろうか。心を鎮め、恐怖心などを抑える効果があるという人魄だが、縊死者の足下の土中にある麩炭のようなものらしいが、すぐに掘り出さないと土中深く入ってしまう。掘り出さないでそのままにしておくと、ふたたび縊死者をだしてしまうとか。じつに厄介なものだ。

続けて李時珍は、「人は陰と陽の二つの気を受けて形体を合成し、魂と魄とが集まって生まれる。両者が離れれば死ぬ。死ねば魂は天に昇り、魄は地に降る。魄というものは陰に属し、その精【エッセンス】が沈倫【しず】んで地に入り変質して人魄というものになる。それは星が隕ちて石に、虎が死んで眼光が地に墜ちて白石に変じ、人血が地に入って燐や碧になるのと同じだ」と記す。

死体が土に還ることで魄もまた土中に鎮まる。これが「魄は地に降る」である。そこで魄を異土に留めたくない。故郷に還って一族の魄と共に在りたいと望むゆえに、中国には異郷で死んだ遺体を故郷に送り届ける「運棺」と呼ぶ棺の宅配業者がある。現在の香港でも見られるビジネスだ。

話は戻るが、なぜ、これほどまでに人体に拘泥するのか。大部分は口にして初めて薬効が現れる。ということは、なにはともあれ喰べなければならない。そこで自ずから疑問が湧く。喰べるのが先か。それとも薬効発見に向けた探究心が先か。はたまた本当に薬効を考えて喰べるのか、と。

 ここで改めて『本草綱目』の目次を示すと、序例(巻一から二)、主治(巻三から四)ではじまり、水部(巻五)、火部(巻六)、土部(巻七)、金石部(巻八)、石部(巻九から十一)、草部(巻十二から二十一)、穀部(巻二十二から二十五)、菜部(巻二十六から二十八)、果部(巻二十九から三十三)、木部(巻三十四から三十七)、服器部(巻三十八)、虫部(巻三十九から四十二)、鱗部(巻四十三から四十四)、介部(巻四十五から四十六)、禽部(巻四十七から四十九)、獣部(巻五十から五十一)と続き、最後が人部(巻五十二)・・・こうして、なんでもクスリにしてしまう・・・らしい。《QED》