【知道中国 2498回】                      二三・三・初九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習164)

大空に昇る真っ赤な太陽が毛沢東を指すことは“オ約束”だから致し方のないことして、どのような困難をも恐れずに任務遂行に邁進する石大虎の人間離れした奮闘ぶりから、はたして当時の子供たちはマルクス・レーニン主義と毛沢東思想の無謬性と“無限の効用”を学び取ったとでも言うのか。

考えれば、イソップ物語やお伽話に耳を傾けるはずの年頃の柔らかい脳ミソに刻まれたであろう「一切の困難は張り子の虎だ。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想さえあれば、どんな困難も我々を倒すことは出来ない」との勇ましい“訓戒”が、はたして何十年かの後にフラッシュバックすることはないと、いったい、誰が断言できるのか。

そう言われれば第3期習近平政権で習近平に伺候する6人――李強(1959年生)、趙楽際(1957年生)、王滬寧(1956年生)、蔡奇(1956年生)、丁薛祥(1962年生)、李希(1956年生)――は、全員がこの世代だった。

「栴檀は双葉より芳し」く、「三つ子の魂百まで」とはいわれるが、彼らに習近平を加えた共産党政権トップ7人の記憶から、幼き日にイヤと言うほどに叩き込まれたに違いない「一切の困難は張り子の虎だ。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想さえあれば、どんな困難も我々を倒すことは出来ない」との“悪魔の囁き”は、完全に払拭されているのか。

『語文小叢書 幾組常用詞的分別』と『論現代漢語中的単位和単位詞』は共に文法解説書である。文革に文法とは奇妙な取り合わせとは思うが、そこには文革ならではの理由があったに違いない。

前者は巻頭に「我らが労働者農民幹部は理論を学ばなければならないが、その前に先ず文化を身につけなければならない。文化がなかったら、マルクス・レーニン主義の理論は学んでも頭の中に入ってこない。文化を身につけてこそ、いつでもマルクス・レーニン主義を学ぶことが出来る」(『毛主席語録』)を置いたうえで、「広範な労働者・農民・兵士と青少年の言語水準を高めることを支援し、より正確にマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想を学び、その他の科学文化知識を学ぶため」と「出版説明」がなされている。

後者も同じような意図で出版されているところから判断して、じつは文革が「広範な労働者・農民・兵士と青少年の言語水準」が、「正確にマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想を学」ぶレベルに達していなかったことを炙り出してしまった、とも考えられる。

じつは文革期、中国語の文法、修辞法、表現方法などに関する比較的分かり易い解説書が数多く出版されているが、それ自体が「我らが労働者農民幹部」の文化レベルが「マルクス・レーニン主義の理論は学んでも頭の中に入ってこない」ことの傍証だろう。

それゆえに政府当局は「広範な労働者・農民・兵士と青少年の言語水準を高めることを支援し、より正確にマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想を学び、その他の科学文化知識を学ぶため」にも、言語レベルを引き上げなければならないとの焦燥感に駆られ、危機感を募らせていたに違いない。

次は2月。15日から19日までキッシンジャーが米大統領安全保障補佐官の身分で訪中し毛沢東と面談。22日には「近い将来、米中は互いに双方の首都に連絡所を設置する」と発表。米中外交関係が本格化する。20日には毛沢東の同意を得て鄧小平一家が幽閉先の江西から北京に向かい、26日には周恩来が林彪に関する一連の後始末に取り組むことを表明。

文革にも中弛みが感じられそうだが、『古代羅馬的奴隷起義』(易水 人民出版社)、『十粒米的故事』(李潤生・任夢龍等編絵 人民美術出版社)、『一堆土豆』(任美運改編 人民美術出版社)、『紅水河歓歌 広西詩選』(広西壮族自治区征文弁公室編 広西人民出版社)、『漢語提帯複合謂語的探討』(復旦大学語言研究室 上海人民出版社)が出版された。《QED》