【知道中国 2497回】 二三・三・初七
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習163)
『三個孩子和一瓶油』は農村の小学校5、6年生の女の子と、3年生ほどの2人の男の子が力を合わせ同じ村の年老いた「軍属」を手助けする、これまた健気過ぎるような物語だ。
彼の2人の息子のうち長男は「日本鬼子(にほんへい)」との戦いで犠牲になり、次男は国境で対ソ防衛に当たっている。まさに国家民族のために一家を挙げて尽くしている「光栄」さを、物語の背後にソッと忍ばせている当りに書き手の狙いがありそうだ。
じつに他愛のないスジ運びだが、当時の農村の日常生活を垣間見ることが出来て面白い。
たとえば食用油は人民公社の供銷店(こうばいぶ)で量り売りされ、客は持参した瓶に必要量だけ購入できた。今風に表現するなら、超エコの生活だったことになる。
ある日、お使いを頼まれた男の子2人が供銷店へ。帰路、片方がふとした弾みに油の入った瓶を落とし割ってしまう。もちろん男の子は半泣きだ。すると女の子は彼をなだめながら、油の染みこんだ土を丁寧に掬い集めて持ち帰り、それをグラグラと煮立たせた鍋に放り込む。暫くすると熱湯の中で土と油が分離し、土は鍋底に沈み、油は表面に浮かび上がる。こうして表面の油を掬い取って再利用するのであった。
生活の知恵と言ってしまえばそれまでだが、それにしても食用油が超貴重品であった文革時の、貧しくも慎ましく生きざるをえなかった農村生活を窺わせるに十分な物語だ。
そこで細やかな体験談を。
香港時代、九龍の街を離れ沙田の農家の片隅に下宿していた当時だから、おそらく72~75年だったろう。下宿の管理をしていた曽バアさんが缶入りの食用油を数缶買い込んで、広州の親戚や知り合いに定期的に送っていた。時には日用雑貨の類も送ったが、中国への小包は必ず何枚も接ぎ合わせて一枚の大きな布のようにしたタオル地で包装していた。
それというのも、中国ではタオルの入手が困難だから、梱包した大きなタオル地をバラして元の形に戻し使うとのことだった。
小包の梱包を手伝わされながら、食用油もタオルも十分に手に入らないような貧しい庶民生活――華々しく展開される文革の裏側に押し隠された“不都合な真実”――を実感させられたわけだ。『三個孩子和一瓶油』で改めて当時の庶民生活を思い起こす。同時に、貧しさを克服しようと工夫に工夫を重ねる中国庶民の生き方や知恵には、やはり頭を下げるしかなかった。
『石大虎』は26ページ足らずの絵本である。だが文章は大慶油田工人写作組が、絵は大慶油田工人美術創作学習班と上海市前進農場創作組が担当し、上海人民出版社から出版されたワケだから、これはもう正真正銘の正調の、ウルトラ弩級としか表現しようのない“紙の爆弾”と断言しておくべきだろう。
1962年冬、大慶油田の最強トラック部隊長の石大虎は、油田建設に欠くことの出来ない材木の運送を命ぜられる。雪に埋もれた断崖絶壁の細い道路を延々と進み、氷雪に閉ざされた山中に留め置かれた木材を搬出することは「天空の星を掴み取るより困難」と、誰もが口を揃える。
危険を避け迂回ルートを取ると1か月以上も時間がかかる。だが、そんな余裕はない。そこで石大虎は毛沢東思想を深く学習し、かつて「日本鬼子(にほんへい)」ですら怖じ気づき前進を諦め引き返した最も危険を伴う最短ルートの突破を決意する。
零下40度。横殴りの猛吹雪の中、人馬一体ならぬ人車一体で突き進み、見事に任務を完遂させた。昨日までの吹雪がまるでウソのように晴れ渡り紺碧に耀く大空に昇る真っ赤な太陽を背に、「一切の困難は張り子の虎だ。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想さえあれば、どんな困難も我々を打ち倒すことは出来ない」と、石大虎は傲然と胸を張る。《QED》