【知道中国 2496回】                      二三・三・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習162)

『奴隷社会』(史星 上海人民出版社)は、階級闘争こそが「歴史であり、数千年来の文明史」であるとする毛沢東史観に立って、中国のみならず、古代エジプト、バビロニア王国、ローマ帝国などにおける奴隷社会の姿を解説し、ローマ史上最大の奴隷反乱とされるスパルタクスの叛乱(前73~71年)を詳述した後、文革に反映された毛沢東路線の正しさを次のように力説する。

「社会主義社会と言う歴史過程においても、依然として階級、階級矛盾、階級闘争は存在し、社会主義と資本主義の間の闘争は継続する。資本主義復辟の危険性が消えることはない。帝国主義と現代修正主義による歴史法則のネジ曲げと侵略の脅威は存在する。ここに列挙した矛盾はマルクス主義の永続革命理論と実践によってのみ解決できる」。だから「中国に奴隷社会は存在しなかったなどといったトロツキー派の戯言を売り歩く劉少奇一派のペテン師はマルクスレーニン主義、毛沢東思想に反する」となるわけだ。

かくして最後を次のように結んだ。

「マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想を武器にして社会発展史を学び、歴史発展の法則を確固として身につけ、世界と世界の改造を正確に認識し、群衆による革命闘争に自覚的に身を投じ、歴史を前に推し進める。これこそが我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務である」

いま振り返れば、とてつもなく気恥ずかしく、赤面モノの青臭い物言いとしか表現しようはない。だが、当時は、少なくとも“公式的”には「これこそが我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務である」と胸を張っていたのである。

ところで習近平は1953年生まれだから、『奴隷社会』が出版された73年は20歳だった。翌74年には共産党に入党し、程なく下放先の延安梁家河村大隊支部書記となり、現在の最高政治ポストへと繋がる実務と熾烈な権力闘争のスタートを切ったことになる。翌75年には慣れ親しんだ農民に送られ北京に戻り、清華大学化学工程系に入学を果たした。 

「マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想を武器にして社会発展史を学び、歴史発展の法則を確固として身につけ、世界と世界の改造を正確に認識し、群衆による革命闘争に自覚的に身を投じ、歴史を前に推し進める。これこそが我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務である」との強固な決意を秘めて、21歳で共産党に入党し、以来、入党時の“志”を忘れることなく、「我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務」を果たすべく邁進してきた――こう習近平の人生を“忖度”してみるなら、彼が最終的になにを求めているのか。現在の彼の振る舞いの狙いが自然と浮かんでくるようにも思える。 

やはり「三つ子の魂百までも」を頭の片隅に置きながら、習近平の今後を考える必要があるようにも思う。最近になって持ち出されたウクライナ和平への試みにしても、「我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務」と胸を張って自ら任じているのかもしれない

それにしても、である。毛沢東はトンでもない「三つ子」を育てくれたモノだ。

青年世代を「我らプロレタリア階級と革命人民の光栄ある任務」で煽りまくった共産党は、同時並行的に子供世代をどのように育てようとしたのか。

『送茶壺』(人民美術出版社)には「送茶壺」と「送雨衣」の2つの物語が収められている。前者は人民公社の収穫時に援農に出向いた人民解放軍新兵と年老いた農婦の茶壺(どびん)を間に挟んでの心温まる友情物語であり、後者は下校時に見掛けた雨中でバイク修理する人民解放軍兵士に傘を差し掛け、さらに家に飛んで帰って雨衣(レインコート)を手に立ち戻り兵士に着せかける健気な紅小兵の物語。

解放軍兵士と老百姓(じんみん)の麗しき友情譚・・・革命的メルヘンですね。《QED》