【知道中国 2494回】                      二三・二・念八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習160)

「ブルジョワ階級〔中略〕からみれば、唯物主義なのか唯心主義かなどということを理解・弁別する必要は皆無だ。人々は同じように商売しカネ儲けができるのだ」などとは、口が裂けても言えなかっただろうに。なにせ文革時代だったわけだから。

だが、ここで敢えて妄想を膨らませてみるなら、“毛沢東時代の黄昏”を体感する一方で来るべき鄧小平時代を先取りしようとした勢力が、『現代資産階級的実用主義哲学』再版の背後に控えていたと考えられないわけではないような。

これを要するに、異常なまでに熱狂的な文革の時代は必ずや、程なく終焉を迎えざるをえない。だから皆さん、その時に備えましょう。次に訪れるのは経済(カネ儲け)の時代だから、「人びとは同じように商売しカネ儲けができる」・・・毛沢東思想への“訣別宣言”と受け取るのは、やはり深読み、いや早トチリが過ぎるだろうか。

それにしても古来、中国では強大な権力を前にして正攻法を避け、「借古諷今(古を借用して今を批判する)」といった手法を使って搦め手で攻撃することが見られるから、強ちピント外れの深読みとも思えないのだが。

どうにも出版意図が読み取れない『現代資産階級的実用主義哲学』に較べ、同じ73年1月出版の『読一点世界史』(史軍 人民出版社)は文革を世界史的立場から論理明快に説いている――言い換えるなら煽っている――から、じつに素直に読み進める。

 『読一点世界史』は、文革当時の最高理論権威誌『紅旗』に連載された世界史に関する論文を一括再録している。『読一点世界史(世界史を少し学ぼう)』などと“謙遜”した書名ではあるが、当時の共産党公認の世界史であり、この本の主張を外れた人類の歴史などゼッタイにありえないのであった。

冒頭に「偉大なる領袖毛主席」の説く「歴史知識の有無こそがプロレタリア階級革命政党が勝利するか否かの条件である」を掲げ、「今日、我われが処している時代は『世界中の制度が徹底して変化する偉大な時代であり、天地が逆さまにひっくり返る時代である』。国家が独立を、民族が解放を、人民が革命を求めることは、すでに逆らうことのできない歴史の潮流であり、2つの超大国が世界を分割支配する時代は過ぎ去り、二度と再び戻ってくることはありえない」との“現状分析”を示す。

続いて、「中国革命は世界革命の一部分であり、我ら全ての革命同志が従事する一切の革命事業は世界人民の革命闘争と緊密に連携している。世界に目を向け、世界を理解しなければならない」と、革命闘争における世界史学習の必要性を熱っぽく説く、いや煽る。

「世界史は、こう我われに教える。アジア、アフリカは人類文明の発祥の地であり、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカはそれぞれの輝かしい古代文明を持ち人類の進歩に多大な貢献をなしてきた。15世紀末以来、西方の殖民地主義がアジア、アフリカ、ラテン・アメリカに侵入し、広大な地域が殖民地・半殖民地に陥り、共に西方殖民地主義者の残酷な搾取を受け奴隷となった」。

「西方の殖民地主義の奴隷商人も秘かに中国にやってきて大量の華工を強引に南北アメリカに連れ去り『苦力』とした」。

「何十万の華工はアフリカの黒人や南北アメリカの労働者と同じく牛馬のような過酷で悲惨な生活を強いられた」。

だが、やはり、断固として「圧迫のあるところに反抗あり」でなければならない。

「華工と南北アメリカの労働者、アフリカの黒人は共に肩を組み、手を携えて西方の殖民地主義者と戦い、流した鮮血を以って戦闘的友誼を結」ぶこととなり、「殖民地主義の侵略に反対する戦いは千里万里の海山を越え、被抑圧人民を結びつけた」らしい・・・。《QED》